備中松山城&作州津山城

2012.10.05 二日間に亘ったバイオマスツアー真庭の一行と岡山駅で別れた茫猿は、次男と待ち合わせの夕刻までホテルで仮眠するのです。 瀬戸内の離島に移住して苺農家として自立の道を歩み始めて六年余り、苺栽培はようやく目処が立ちつつあり、島にもとけ込んできたものの何かと悩みの多い年頃ともなり、相談相手として親爺の出番がきたのです。 次男のことはさておき、翌日はドライバーを得たことから、岡山市から岡山道経由、日本三山城の一つである高梁市備中松山城へ向かうのです。

備中松山城は日本三大山城《岐阜県岩村城、奈良県高取城》の一つであるとともに、現存する天守閣を持つ城としては姫路城、彦根城、犬山城、丸岡城など十二城の一つでもあります。標高430mの山の上にあり、シャトルバスの折り返し点からでも、1,000m近いつづら折りの坂道と石段を登らなければなりません。 喘ぎ喘ぎ登り着けば、お城の階段も梯子くらい急な階段です。 古い時代のお城は、犬山城も丸岡城も急階段で登りはまだいいのですが、降りる時がとても危険に感じます。松山城でも同じ思いをしました。 こんな山城で籠城の時の飲料水はどうするのだろうかと不思議でしたが、城郭内に井戸や池もあるようで、籠城の役目は果たせるようです。 天守2階からは高梁の町並みが眼下です。
(注)写真はサムネイル表示です。クリックすると拡大します。
      

   

天守閣下の広場には凛々しい若殿が待っていました。 尋ねますと鳴川泰司くんと云い小学校一年生だそうです。「備中松山城 秋の陣」と題する高梁観光協会主催のお城祭りのイベントの一つ、甲冑体験モデルを務めているのだそうです。 カメラを向けると鳴川若殿は快く応じてくれました。 腰の太刀に手を添えてカメラを見つめる姿は、とても様になっています。 ちなみに鳴川君に名前を尋ねますと、付き添っている父親が書こうとするのを「僕が書けるから。」と、自筆のサインをくれました。行く末頼もしい若殿です。 この備中松山城は、1693年、藩主水谷家に嗣子が無くお家断絶となった時に、城受取にあたったのは、忠臣蔵の赤穂藩大石内蔵助である。

      
(左)駐車場とお城を結ぶシャトルバスの折り返し点ふいご峠には高梁B級グルメと称する「コンニャク・たこ焼き」が売られていました。 昼食前ですから試食は止めましたが、どんな味がするのでしょうか?
(中)備中松山城を後に、車は岡山道から北房JCT経由中国道を西へ院庄ICから津山市へ向かいます。美作で蕎麦でもと考えたのですが、その前にカーナビで発見した「扇形機関庫」へ立ち寄ります。  要予約の一般公開には時間外でしたが、フェンス越しに十分見ることができました。 梅小路の機関庫に較べれば荒れてはいますが、梅小路に次ぐ国内二番目の扇形機関庫は結構な風格があります。
(右)津山市内で蕎麦屋さんを探しましたが、蕎麦屋より饂飩屋が多くて佳さそうなお店は定休日とのこと、そこで「津山B級グルメ:ホルモンうどん」をいただきました。 味噌味のホルモンが主役の焼き饂飩ですが、鉄鍋がコンロに載せて供されます。 意外にあっさりした佳いお味で、ビールとの相性もよろしかったです。

      
津山市は森忠政18万石の城下町であり、出雲街道の宿場町でもある。 古い町並みが出雲街道城東地区として残されている。 この城東地区のなかに「城東虹の家:ごんご」のお店があります。「ごんご」とは河童のことで、出雲街道に沿って流れる吉井川・覗き淵には河童が棲むという伝説がある。 その河童竹細工や土産小物を扱うお店であり、お座敷で珈琲がいただける喫茶も併営している。
(左)城東虹の家:ごんごの主(柔和なお顔ですが、お口は辛口)と、茫猿の辛口トークをハラハラしながら聞いていた次男。
(中)虹の家が販売している河童の竹細工。
(右)虹の家の前で河童2コウラ(2頭)と記念撮影をしたら、ごんご3コウラ(甲羅)みたい。

      
(左)出雲街道城東地区の家並み越しに津山城の大きな石垣が見えます。夕刻が迫っていたし、備中松山城で膝が草臥れていましたから、津山城は下から眺めただけです。
(中)城東地区むかし町の家並み。この町筋の裏通り上の町筋が寅さんの最終作に出てくる。光男が泉ちゃんの婚礼車列を邪魔する場面である。通ってみたが、車一台がやっとの狭い道である。
前日に利き酒試飲をさせていただいた真庭市勝山町辻本店も寅さん最終作に出てくる。冒頭の因美線美作滝野駅も行きたかったが、時間の都合から割愛です。
(右)なまこ壁とうだつの美しい民家です。

     
(左)作州津山の蓋、意匠はごんごです。 (右)岡山市の蓋:桃太郎
バイオマスツアーの行われた真庭市や松山城のあと向かった津山城が位置する美作地区は「美作建国1300年」行事を準備中です。 美作国は713年に備前国から分離して建国され2013年には建国1300年を迎えるのです。

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備中松山城&作州津山城 への1件のフィードバック

  1. 津山城東虹の家 のコメント:

    お元気でございましか。先般は、津山城東虹の家にお越し頂き有難うございました。
    次男さんもお変わりなく、「いちご」に精を出されていることと存じます。
    素晴らしい親子ですね。親子で玉を磨き合って、磨き合って、終生磨き合う。
    ますます素晴らしい親子を作り上げてください、期待しております。

    ブログ有難うございました。11日から毎日貴兄のブログを開けていたのですがタイトルをクリックすることを知りませんでした。
    今日、貴兄のブログを開けて出ていなければ、あきらめようと思い開けました。
    今日はどうしたことかマウスがタイトルに当たり、タイトルが赤になり、はてな?と思い
    見る事が出来ました。

    ≪(左)城東虹の家:ごんごの主(柔和なお顔ですが、お口は辛口)と、
    茫猿の辛口トークをハラハラしながら聞いていた次男。≫

    本当に有難うございました。
    貴方の全部のブログの文章力に敬意を表します。

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