イサムノグチに出会う旅_Ⅱ

 間遠になりましたが、讃岐気儘旅の続編です。茫猿一行は四国村をあとにして、今回の旅の目的の第一である「庵治:イサムノグチ庭園美術館」に向かったのです。(08.04.08)


 イサムノグチ庭園美術館は高松市郊外の牟礼町にあるのですが、気楽に行けるところではありません。場所が遠いとか難路というわけではなく、事前に予約が必要なのです。詳しくは前掲美術館サイトをご覧頂きたいのですが、一日三回、約一時間の見学ツアー申込みが必要なのであり、一回のツアー定員は20名なのです。茫猿がツアーに申し込んだのは2月のことであり、この予約に合わせて旅程を決めたのです。 高松に着いてから饂飩を食したり、四国村を廻ったりしていたのも、実はこの美術館ツアーまでの時間調整だったのです。
 当然と云えば当然のことですが、この美術館は版権や著作権について大変厳しく、カメラの持ち込みやパンフレット等の無断転載は許されません。リンクも許可が必要です。ですからコメント中心の記事になります。
 実はイサムノグチは岐阜と大変に縁が深いというよりも、岐阜市へ訪れたときに見た岐阜提灯に魅了されて「イサムノグチ:AKARI」シリーズを制作したといわれ、AKARIシリーズは今も販売されています。芸術には縁遠い茫猿が四国までイサムノグチを訪ねたのは岐阜提灯や美濃市あかりアート展にもつながるイサムノグチに直にふれたかったからなのです。
 茫猿の筆力で彼の作品について語ることはかないません。それは他のサイトに委ねます。ただ、庵治の街並みや風景にとけ込んで端座する美術館や旧居などを見てまわり、屋内にも屋外にも展示される彼の石彫の前に立てば、紙や石を素材とする彼が生み出した芸術の心底に流れているもの:もろく危うい紙を通して揺らぐ光、不変のごとく見えながら風雨にさらされて転じてゆくであろう石彫の微かなうつろいといったものを:、なにがしとはなく感じるのです。
 イサムノグチの代表作である「エナジー・ヴォイド」(1971年)は、高さ3.6mの黒色花崗岩です。その前に立てば、圧倒的な存在感にうたれます。戸外から差し込む自然光に穏やかに映えて、様々な顔を見せる石彫は「見る、居る、感じる」世界です。茫猿はこの巨大彫刻の周りを三周しました、普通に立って周り、次は腰を屈めて周り、最後は随所で立ち止まり姿勢を変えながら廻りました。磨かれた黒御影石であればこそ、様々な顔を見せてくれますが、ふと、このモニュメントに水を静かに流してみたくなりました。滴り落ちる水は、このモニュメントのまた違った顔を見せてくれるのではないでしょうか。
 関ヶ原生活美術館もそうなのですが、石彫は戸外に弧座するのがふさわしく、風に吹かれ雨にさらされてこそ、様々な顔をしかも一度きりの顔を見せてくれるのだと思います。イサムノグチが一期一会を想い描いていたかどうかは判りませんが、茫猿は屋内にあっても差し込む陽射しの変化に応じてうつろいゆく石彫に見入っていました。
※イサムノグチ庭園美術館の遠景です。右手の木立のなかが旧居です。

※イサムノグチ庭園美術館案内所です。無造作に置かれてある誰かの石彫も何かを語るようです。

※イサムノグチ庭園美術館に通じる道筋には石屋さんが多いのです。

※イサムノグチと直接の関係はないのでしょうが、高松港付近の海辺に座してあった石彫です。

※見学ツアー予約申込み葉書様式

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