ウイーンフィル

 昨夜は思いもかけない幸せな時間を過ごしました。 ウイーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートBS再放送に巡り会ったのです。 直前エントリーでも記事にしておりますNSDI-PT関連で上京したのですが、どうやら鼻風邪を拾ってきたようでして、コタツでウトウトしていたら掛け流していたTVからニューイヤーコンサート再放送が始まったのです。


 例年、元旦の夜はウイーンフィルと決めていますが、今年は昨年来の様々な世俗事に追われていて、ついつい生中継を見逃してしまったのです。 三時間ほどの放送を時に居眠りしながら嬉しく見聞きしました。 今年の指揮者はダニエル・バレンボイムでした。 よくオーケストラの指揮者は帝王に例えられますが、今年の演奏曲目のうち、交響曲第45番「告別」 ( ハイドン作曲 ) では一人ずつステージからいなくなる楽団員に(当然、仕組まれたハプニングです)、とまどい少し慌てる様子が面白くて、華やかな会場からも笑い声が聞こえていました。
 会場といえば、ウイーン楽友協会黄金ホールはいつ見てもすばらしいホールだと思います。会場いっぱいに飾られているイタリアから贈られた花々、会場のあちこちにチラホラ見える和服姿の日本女性のあでやかさ、もちろんホールのきらびやかさ、装飾彫刻の見事さなど、音楽を離れてもハプスブルグ王朝の栄華をしのばせます。
 そして演奏会の終盤、アンコール曲は堂守がいつも楽しみにしている ラデツキー行進曲 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 ) です。 この曲は(社)岐阜県不動産鑑定士協会25周年記念行事の祝演奏をお願いしたウイーン岐阜管弦楽団にもアンコール曲として演奏をお願いした曲です。さらに、あろうことか、指揮者に招かれるままに舞台袖で聴衆会員諸氏の手拍子を指揮させて頂いたという、生涯忘れられない思い出の曲です。
 昨夜の指揮者ダニエル・バレンボイムも手拍子のところでは肩越しに後ろ手で聴衆の拍手を指揮するなど、楽しい指揮ぶりでした。 いやはや「ラデツキー・マーチ」万歳です。 写真は04.04.16の堂守迷指揮振りです。当時の横須賀会長の破顔一笑が、その時の会場の全てを現しています。

『閑話休題』
 机の前には通販で購入した書籍が十冊ほど積ん読状態にありますが、そのなかで、いつでも、どこからでも読めるというか、気に入った頁を折々に読めばよい本を三冊紹介します。
「風天 渥美清のうた」 森英介著 大空出版刊
 渥美清氏こと風天の寅さんが逝ってから、もう十二年になります。その寅さんが俳句を詠んでいた。俳号は風天というのだそうです。
冒頭に掲げてあるのは「お遍路が  一列に行く  虹の中」という句で、歳時記にも採集されているそうです。 寅さんが折々に詠んだ句を紹介する本ですから、気に入った句のところを何処からでも読めばよいのです。 渥美清が詠んだのか、車寅次郎が詠んだのか判らないのが次の一句。
  『 股ぐらに  巻き込む布団  眠れぬ夜  』(風天)
「抵抗人名録」 佐高信著 金曜日社刊
 佐高氏が週刊金曜日に連載した人物月旦を一冊の書籍にしたものである。一人一人の記述量はさほどに多くないが、77人のあまり知られていないエピソード集である。 佐高氏は吉永小百合氏についてこう述べる。 『彼女は「いいこと」しかできない。いわゆる「悪いこと」からは瞬間的に身を引く女性である。言ってみればカマトトだが、・・・(中略) 「彼女の原爆詩朗読について述べたあと」、多分、私は吉永に「偽善」の臭いをかいできたのであろう。しかし、偽悪家ぶることより、「偽善」と言われようとも「いいこと」を続ける方がよほど難しい。 彼女は私にそれを教えた。』
「辛口百社事典」佐高信著 七つ森書館刊
 名だたる一部上場企業百社の実名評考集である。 最近の不況・派遣切りなどの報道に接するときに、新聞やTVでは伝えられない、各社の陰について書いている。 これも何処からでも良い。トヨタからでも、電通からでも、パナソニックからでもよい。 佐高は何を書いているのかという興味心から読めばよいのである。 真偽はともかくといっても、雑誌に連載し単行本で刊行している記述である。 書かれた側に異論や反論があれば名誉毀損訴訟も辞さずということである。

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