祈願・鞍馬寺

 過日、学生時代の友人を見舞った。彼の病態はとくに病床に伏しているというわけではなく、平穏に日常を過ごしているものの、背中がやや丸くなり背丈もいつのまにか私より低く、全体に一回り小さくなっている。 彼の病症は小康を得ているが、互いの年齢と彼の病態を考えれば、いつ何が起きても不思議ではなく、共に語り食し飲める今を大切にしたいと思ったのである。 彼を見舞った翌日は鞍馬寺に病気平癒を祈願したのである。


 友の病気平癒を祈願して訪ねた鞍馬寺
 
 鞍馬寺奥の院。このあたりは深山に住む天狗に武術を習ったという義経伝説がある。
 
 平癒を念じつつ歩いた奥の院から貴船神社に通じる木の根道。複雑な模様を描いて木の根が地表に現れているから歩き難いことこのうえない。 こんな山道を辿って奥の院まで参る人は少なく、ましてやさらに山道を分け入って貴船まで降りてゆく人はほとんどいないから、鳥の声が時折聞こえる以外は静寂そのものである。 途中にあった熊と蝮に注意という立て看板には少しびびった。
 
 鞍馬寺には出町柳駅から叡山電車を利用し終点の鞍馬駅からは歩いたのである。
 
 貴船神社付近では川床が始まっていた。前夜は彼と四条河原の床(開陽亭)で食事を摂ったのである。
 
 参拝を終え山道を辿って帰途についた貴船口駅。
 
 出町柳駅に戻ってから、休憩した柳月堂名曲喫茶。この店は五十年近くも前に学校から下宿へ帰る途中、銭がある時は葡萄パンを買い、銭がない時はパンの耳を買った思い出がある。 マヨネーズやカラシがついた耳は、チキンラーメンの汁に浸して空腹を満たしたのである。 今から思えばミジメな食事であるが、当時は何の不思議もなく当たり前のように思っていた。
 
 鄙里に戻ったら、母が遺した石竹が咲いていた。
 この花をまじまじと見るのは始めてである。毎年咲いていただろうに、記憶に残っていない。
 
 同じく父が遺したシンビジウムも花をつけていた。
 この数年は管理が悪いから花付きが良くないが、今年は株分けなどの手入れをしたから、来春はもう少し良くなるだろう。
 
 畑では茄子の花が咲き。
 
 山椒の実は収穫期を迎えている。
 
 

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