事業レビュー・地価公示Ⅱ

地価公示事業レビューを視聴していて、外部有識者の呈した質問には誤解もあるし、あまりにも素朴な疑問呈示もあった。 しかし、それらを含めて説明者側の応答は地価公示法、土地基本法などを引用する「建前論的主張」の域を出なかったと考えている。 問われているのは地価公示法や土地基本法に謳われている建前が、本当に機能しているのかという問い掛けであろうに、それに対する回答がアクセス分析もないHPのページビュー総数であったり、アンケート結果の呈示であったりしたのはとても残念なことである。 そのうえに、指標たり得ているのかという問い掛けに、真正面から応える論拠を持ち合わせていないのだとすれば、とても悲しいことである。

《地価公示法第1条:目的》
第1条  この法律は、都市及びその周辺の地域等において、標準地を選定し、その正常な価格を公示することにより、一般の土地の取引価格に対して指標を与え、及び公共の利益となる事業の用に供する土地に対する適正な補償金の額の算定等に資し、もつて適正な地価の形成に寄与することを目的とする。
《土地基本法第16条:公的土地評価の適正化等》
第16条  国は、適正な地価の形成及び課税の適正化に資するため、土地の正常な価格を公示するとともに、公的土地評価について相互の均衡と適正化が図られるように努めるものとする。

つまり、地価公示制度の存在意義のなかで、公共事業用地取得に関わる機能は「及び書き事項」であり、第一には土地の取引価格に対して指標を与えることにあることに関して、的確な存在意義説明が所管庁によって語られなかったことを最も懸念するのである。

さらに適正な地価形成のための指標と位置付けられる地価公示価格の存在意義は、今や直接的にそうであるよりも間接的役割が大きいのである。 地価公示標準地は全国で26,000地点存在するだけであり、相続税路線価や固定資産税路線価の網羅性に比較すれば、広い不動産市場における洋上の小島のような存在である。
だから売買及び賃貸、最近では担保評価その他広い意味での不動産市場における指標としては相続税路線価や固定資産税評価額が活用される場合が多いのである。

その意味では相続税路線価も固定資産税評価額も、直接的課税額査定根拠としての役割と同時に、時にそれ以上に市場における指標としての役割を担っているのである。相続税路線価額の80%割戻額、固定資産税評価額の70%割戻額は、それぞれ地価公示額及び地価調査額からの規準価格(均衡価格)水準なのである。 公的評価(公示価格等及び課税評価)は公示価格を中心として適正化並びに均衡化が図られた結果として、地価公示価格は直接的に取引等指標となるよりも遥かに大きく、不動産市場の指標として機能しているのが実態なのである。

具体的に云えば、不動産市場において売買、賃貸、交換、担保徴収など様々な取引局面において、地価公示価格から直接的に均衡比較される場合はわずかであり、相続税路線価や固定資産税評価額と比較して取引価格は如何なる位置にあるのかと検証されるケースは枚挙に暇がないのである。
地価公示価格はその歴史的使命を既に終えたとする主張は誤りなのであり、今やその不動産市場における使命は大きく変化しており、公的土地評価就中課税評価についてその相互の均衡と適正化を果たすための基幹的存在として、大きな役割を果たす制度インフラとなっているのである。
とはいえ、地価公示鑑定評価が現状のままで良いと云うことにはならないのである。

一.アンケート結果が唯一の説明
地価公示が社会で有益に機能しているという主張の証拠として、「取引当事者の1/4が取引に際して地価公示を参考にしている。」と説明したが、「それは3/4が参考にしていないと読むべきではないか。」と論破され、さらに1/4の実数は有効回答数1700の10%に過ぎないと論じられても、有効な反論を示すことができなかった。

二.課税評価の規準機能説明に偏重
地価公示が課税評価の規準として機能しており、公共事業用地取得に際しての規準として機能しているという説明は、「公示法第1条に示される、一般の土地の取引価格に対して指標を与えるという事業目標の説明にはなっていない訳であり、社会の関心は地価公示価格から土地情報ライブラリー・取引価格情報提供制度に移っている。」という主張に反論できていない。
制度インフラとして地価公示価格は、直接的に取引指標として機能するよりも、間接的に課税評価を通じて(課税評価の適正化並びに均衡を図る扇の要として)、市場における取引指標としての大きな機能を果たしているのである。

三.国交省説明資料
国交省が事業レビューに向けて用意した資料にも、海外比較として日本は取引価格情報の開示がないから地価公示は必要という記述がある。 その通りであろうが、これを裏から読めば取引価格情報が開示されれば、地価公示は不要とも読める。 近い将来において、取引価格開示が義務づけられなくとも、土地情報ライブラリー・取引価格情報提供制度が充実すればするほど地価公示無用論は高まってゆくのではなかろうか。

四.地価公示の形骸化
地価公示は法に基づく制度インフラであり、近々に大幅な制度カイゼンがあるとも思えない。 しかし、実態的には形骸化の一途を辿るという予想も無視し得ないのである。 取引価格情報提供制度の現場で資料収集にあたっているのは地価公示評価員(鑑定士)であるが、地価公示の事業目的の重みが「事例調査」へと、さらに傾いてゆくことを怖れるのである。

カイゼンと呼称する意味は、改善と称する実態が何を目的とするかにある。 改善の目標が評価書の開示に向けた予定調和であったり、管理強化に偏重するものであれば、それは国民にとって有益な改善であるのかという疑念が払拭できないから「カイゼン」と表記するのである。

五.取引価格情報提供制度の充実を目指すときに地価公示は何処へ
さらに懸念されるのは、情報提供制度の枢要部分を占める事例調査そのものは鑑定士の独占業務でも、鑑定士しか行えない業務でもないという畏れである。 事例調査のうち、定量的価格形成要因項目は、事例地地形図と地理情報(緯度経度情報)さえあれば、鑑定士でなくとも 調査可能であり、なまじっか「鑑定士でござい」などという自意識過剰を持たない調査員のほうが、より的確な調査が可能かもしれないとさえ思える。

定性的な要因項目、時に鑑定士の個性に左右されかねない、恣意的とも云える要因項目については、統計解析的処理を行う場合には、有害とも云えるのである。 この件に関して所管庁は、事情補正の重要性を説明していたが 、「多数の取引事例に異常値が介在するのは、当然のことであり解析処理に際しては折り込み済みであると同時に、時にはそれら異常値が地価動向の先行きを予想させるデータとして位置付けられる場合もある。」という反論が存在する。

地価公示スキームのなかで実施されている事例調査であればこその鑑定士独占業務なのであり、事例利用の優位性なのである。 事例調査の負担の重さを言揚げする鑑定士も少なくないが、鑑定評価における事例資料のもつ重みを考えるならば、事例調査の迅速性、的確性、調査項目の有用性といった幾つかの事項を、自らの意志で改善して行くことが喫緊の課題なのであろうと思うのである。 そして有用かつ有益な調査結果を社会に還元して行くことが、調査事業の公益性充実なのであろうと考える。

六.社会のニーズに応える姿勢は
成熟した制度や既得権にアグラをかいていて、変化する社会の要請を読みとれない集団は、消え去るのみであるという歴史の必然性に想いを馳せていないように見えることを、何より危惧するのである。
先号記事でもふれたことであるが、5/28に記者発表されている「行政事業レビュー・地価公示公開プロセス」の日程を、レビュー前日の夕刻になるまで会員への広報を怠った協会執行部並びに事務局の怠慢を指摘したい。 もしも、政権末期に行われる(予定調和が背景にある)日程消化などと考えているのであれば、社会の反撃が待っているであろう。

さらに衝撃的なのは、HPにて公開している平成22年度協会事業報告についての批判である。 「平成24年地価公示の適正な実施に向けて、地価公示関連予算の拡充を関係各方面に働きかけた結果、平成23年度予算全体としては厳しい財政状況を反映して義務的なものを除いた非公共投資関係の経費が10%以上削減される中、地点数は前年同様26,000地点を維持することができましたが、単価については1,900円の減額となりました。」という事業報告記述は、あまりにも内向きであり業益維持確保の姿勢が見えみえ過ぎるという批判を受けており、それに対しては何の反論もできなかったことである。 鑑定協会が新公益法人へ移行するに際して、その基幹的公益事業は「地価公示業務」であったはずである。 実はこの事業報告とほぼ同様の記述が平成23年度事業報告(案)にも記述されているのである。(2012.06.19定例総会提出議案第1号)

鑑定業界のなかの少なからぬ人々は、「地価公示・事業レビューに登場した外部有識者は、従来から地価公示に批判的な人たちが多いのだから、あのような質問もレビュー結果も当初から予想されていたこと。」と軽く受け流すようである。 しかし、現に存在する疑念や批判に対して的確に俊敏に応えてゆくことが出来なければ、鑑定士協会連合会自体の存在意義も問われることとなろう。

また別の少なからぬ人々は、「鑑定士は今以上に、さらに真摯に地価公示業務に向かうべきである。」と倫理性向上を提唱される。 しかし、こういった提唱は方向性を誤っていると茫猿は考えている。 誤っているというのが言い過ぎならば、業界の方向を誤らせかねないと云ってもよい。

当然のこととして不動産鑑定士には高い職業倫理性が求められるものである。 しかし、今生じている多くの問題や課題は、不動産鑑定士がデジタル時代に対応し切れていないというところにあると考える。 制度が発足して半世紀が過ぎたが、発足当初と現在とではその置かれている社会環境が大きく変わってしまっているのである。 その変わった環境に適応できていないところに最大の問題点が存在すると考えている。

一番判りやすい例をあげてみよう。 それは「土地価格比準表」についてである。 土地価格比準表が初版発行されたのは1973年(昭和48年)である。 当然に不動産鑑定評価基準に準拠して作成されているものである。 土地価格比準表は数次の改訂を経て1994年の第六次改訂以後、約20年間もの長きにわたって改訂が行われていない。 比準表の手引きにも記されていることであるが、パソコン利用など想定外の時代に、計算の簡明化を前提にそれは作成されているものである。
『鄙からの発信』は、土地価格比準表を抜本的に改訂すべきであり、ひいては不動産鑑定評価基準の改定にも着手すべきと提唱してきたが、いまだ一瞥も与えられていないのが実態である。
大半の人がソロバンを利用し、一部の人が高価な電卓を利用するという時代に作成された、評価手順や評価ツールが、パソコン全盛の今にもって、有効に存在していること自体が、鑑定業界七不思議の一つと茫猿は考えている。 だから、倫理向上以前の問題なのである。 いや、時代の趨勢を見ようともしない、無視する姿勢こそが専門職業家としては、最大の倫理観欠如なのかもしれない。

七.鑑定評価の向かうべき方向とは
鑑定士協会連合会は、枢要な経済指標としての地価公示価格の有益性を社会に問うべきであろう。 可能な限りの取引事例の開示を社会に求め、それら開示された取引事例から鑑定士においてのみはじめて可能な解析結果《評価結果》を、社会に問うべき時機にあると思われる。
本記事冒頭に述べたように、多方面に利活用されている課税評価の基幹的位置を占める地価公示価格はその存在意義が薄れるどころか、ますます存在感を増しているのが市場の実態なのである。

その地価公示価格が市場で占める重みを考えれば、囲い込んだ取引事例の上に安住している地価公示や鑑定評価であってはならないのであり 、鑑定士だからこその評価結果や解析結果を社会に問うことが求められていると考える。

多数のデジタル化データについてコンピュータを利用して解析するなどという作業工程もツールも、地価公示制度や鑑定評価制度の創設当時(アナログ全盛時代)には予想もできなかったことである。 今や国交省自体がヘドニックアプローチを研究している時代なのである。(不動産価格の動向指標の整備)
在来型アナログ処理が基本作業である鑑定評価業務に多量データを基礎とするデジタル型解析結果を裏打ちさせるといった方向に向かわなければならないと考えるのである。

いまだ地価公示や一般鑑定評価の評価書開示に消極的であり、地理座標値の活用にも消極的な姿勢は、不動産市場のなかで既に周回遅れの状態なのではなかろうか。 例えばリクルートが提供する不動産情報サイト「SUUMO」を見れば、その情報開示姿勢と地理情報を駆使した情報密度の高さには驚かされるであろう。 市場の前線は既にその域に達しているのであり、取引事例調査案件に緯度経度情報を付加することに未だ消極的な斯界とは大きく異なっているのである。

そのような意味からは、取引価格情報提供制度から得られる多量データは、研究解析データとして然るべく開示されるべきであり、研究解析ツールとして必須である「jirei10.txtフォーマット」などは速やかに開示すべきと考えるのである。 デジタル化Web化時代であればこそ、可能な限りの情報の開示は必須事項なのである。

八.鑑定評価の未来
鑑定業界が、このような市場前線における変化に速やかに対応してゆかねば、形骸化した地価公示にひたすら自らの命運を委ねる鑑定評価業界へと押し流されて行くだけであろう。大胆すぎる悲劇的予想と一笑にふされることであろう。 結末は数年を待たなければ判らないことである。 しかし、鑑定評価とは優れて情報処理業務であると考える筆者は、止めどなくデジタル化が進むWEB社会における鑑定評価の将来性について、それ程悲観してもいないのである。

デジタル化の進展は否応なく鑑定評価という商品にコモディテイ化を招くものであり、であればこそ、『フラット化する世界 』のなかでフリードマンが説く次の一節に納得もし、将来性も見るのである。

医師、弁護士、建築家、会計士などの知的職業にたずさわるアメリカ人は、人間同士の微妙な触れ合いに精通しなければならない。なぜなら、デジタル化できるものはすべて、もっと賢いか、安いか、あるいはその両方の生産者にアウトソーシングできるからだ。
バリューチェーン(価値連鎖)をデジタル化でき、切り分けることができ、作業をよそで行えるような活動は、いずれよそへ移される。 誰であろうと、自分たちの付加価値がなんであるかを、見据える必要がある。《部分抜粋》

《付記》 茫猿は以上のような趣旨から、以下の提言を上申しているのである。
不動産センサスの創設-1   2011年7月10日
不動産センサスの創設-2  2011年7月10日
 Rea Review 制度創設提案  2010年8月18日
  Rea Review 制度Q&A  2010年9月4日

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