残日録-閑居為不全

つくづくと思わされている。雀百まで《不忘踊》であり、三つ子の魂《百まで》なのであると思わされている。ほんの十日も前にキレ易い高齢者、言動荒い高齢者と記事にしたばかりなのに《梅雨のまにまに:  》、抑えが効かなかった。暴走したとまでは思っていないが、廻りで見ていた若い方々は独走する爺々とか、五月蝿い年寄り奴と舌打ちしていたことであろう。 つくづく、先人は判っていたのだと思わされている。須く消えるに如かずなのであり、声を掛けた方が悪いのよと嘯いておれば、かかる声も消えるだろう。

斯界のとあるセクションの某日、とあるコミッティー・ミーテイング席上でのことである。そのコミッティーに出席したのには訳がある。 65歳で岐阜市内の事務所を閉鎖し自宅へ移転、その一年後には総ての公的評価から退隠し、業登録も廃止した茫猿であるが、その後も脇の下をくすぐる甘い言葉に引き出されて、連合会移行前の協会理事を一年、並行して2013年までは情活委員会で地理情報関連の活動を継続していた。連合会理事任期が終わって間もなく地元会の理事を二年、それらの任期も終わったから、ぼちぼち地元会からも退隠してよかろうと考えはじめていたら、このコミッティー参加要請なのである。

要請は”老人転がし”の甘い言葉でささやかれたのである。「先輩の長年のご経験を私たちに役立てて下さい。 特に地理情報やネットワーク、悉皆調査などのご経験や我々若い者の知らない経緯を教えて下さい。」 こんな囁きを受けたら、晴耕雨読に明け暮れる鄙の爺なのよと決めてはいても、巣穴から首を出すだろうよ。 まだまだ枯れ切るには暫くの間がある年寄りだものネエー、それに一言多い私のことを知らないわけでもなかろうし、私のことについては誰彼に相談したとも言っていたし、相談された誰彼からの口添えもあったことだしと云う訳である。

ところが、ミーテイング開催日の数日前に口添え誰某から、レクチュアがあったのである。誰某いわく「強硬な異論が起きており、新任の彼が難渋している。困った時の茫猿頼みで申し訳ないが、ひとつ宜しく弾除けを願います。」というのである。これにまたまた、乗せられてしまったのである。豚も煽てりゃ木に登ると言うけれど、茫猿もチョイくすぐれば舞い上がるのである。

そっからの経緯《いきさつ》は述べないけれど、強硬な異論に対して上げたり下げたり目眩しを使ったり、時に誤爆したりと爺ージの手練手管を用いたのである。どうにか機嫌良く軟着陸することには成功したが、同席した息子みたいな年齢の方々にとっては、自分が鑑定士に成る前のあれこれや爺々の空中戦に口を挟むことなど叶わなかったことだろう。

ドラゴンズの山本マサ投手や横浜FCの三浦知良選手になぞらえるのは烏滸がましいにも程があると、重々承知しています。そんな彼らにさえ「もうイイダロー、十分デショー」という眼もあることは否定できない。茫猿如きには「いい加減にしろよ」と云う声しかないだろうと判っています。 だから地元会理事会は名前を貸しただけで欠席を通したように、このコミッテーの今後も欠席に如かずと思っている。

《ここから先は、あいも変わらぬ という浦島・茫猿の愚痴です》
情報と云うものに向き合う斯界の基本姿勢についてである。2010年以前と何も変わっていない。隙間より覗き見ただけで断言しては申し訳ないけれど、退化したのではとさえ思われる。五年分相応の進歩が無ければ、周囲の環境は格段に進んでいるのだから、相対的開差は大きくなっている。

何もしていない、何も考えていないなどとは云わない。でもあまりにも遅く、安易で、曖昧である。「too late too easy too fuzzy」と嘆いたのはもう十年も前になる。自らが痛みを感じない改善策などは弥縫策にもならない。 社団法人と営利法人は意思の形成過程も執行過程も異なることくらいは重々承知している。当時も今も我慢ならないのは、時間と機会の無駄遣いであり、自らの怠慢さに気づいていない気付こうとしないことである。

一、デジタル化時代に、ネットワーク時代に、情報のコモディティ化は避けられないということが斯界では未だに共通認識となっていない。それに加えて、国交省の不動産情報ハブ構想に向き合う姿勢も認識も未だ定かでない。

一、尚悪いことは、デジタル化、ネットワーク化された事例閲覧収入が予想より多額であったことから、その収入に依存する空気の蔓延が進んでいるようだ。 いわばTOtoに依存して、グランドより貴賓席を充実した国立競技場を建て替えようと云う愚かさに似ている。

一、最も大事なことであるが、情報の新鮮さ、豊富さ、確かさなどが鑑定評価の出来を左右する基盤であるにも関わらず、情報の共同発掘・共有・共用についての意識改革が旧態依然である。

一、《あえて叩く憎まれ口だが》仰々しく持ち出して来た『P-MAP』なる地理情報活用システムだが、せっかく[REA-MAP]という体を表す名前があるのに「P-MAP」と改名した意味が判らない。 2013年にβ版を公開して実証実験を行ったRea Map 3rd や同時期に開示したMAPクライアントなどと何処がどう進化したのかよく見えない。

イメージデータやポリゴンデータの取り込みにも、アドインアプリやサブルーテインアプリが別途必要だと云うし、用意もされていない。 時間の無駄遣いも甚だしい。 Rea Map 3rd 公開 :

《お気に障った向きも少なくないでしょうが、鄙の木瓜爺のうわ言です。ご寛恕為されたく。ここ数日、気分がすぐれないのです。通夜葬儀と躯固くうな垂れ坐っていた時間が長かったせいなのか、何やら首筋に乗っかって居るような、ザラツイタ気分が晴れません。》

明らかにフィジカルで一回り劣っていながらも、イングランドに勝ってファイナル進出を決めた”なでしこジャパン”、あっぱれである。ファイナルは勝ち負けなどはどうでもよい、ナデシコらしい美しいサッカーを期待します。 雨上がりの畑にて、ファーマー暮らしも五年目となれば、トマトの仕立て方も随分と様になってきた。IMG_1126

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