2018/02/09付 中日新聞Web版によれば、豊橋市で、児童の頭を黒板にぶっつけた教師が停職6カ月の懲戒処分となった。県教委の発表によれば、児童に後遺症はなく、教諭は教委の聞き取りに「悪いことは承知していたが、指導に熱が入ってやってしまった」などと話したという。
報道によれば生徒に外傷的後遺症は無かったというけれど、心理的後遺症は無いだろうかと、茫猿自身が小学3年生の時に受けた体罰を思い出した。
外傷的な後遺症は無かったと教育委員会が発表したという報道を見て、茫猿は小学3年生の時の夏休み前の約一ヶ月間廊下に放り出され教室に入れて貰えなかったことを思い出した。原因はもう思い出さないが、毎日、廊下で弁当を開いた屈辱は今も思い出す。その時の担任教師に殴られた記憶も有るが、殴られたことよりも毎日を廊下で過ごした屈辱は(今も微かな)心傷(トラウマ)になっているようである。
この時に他の教師も知っていたと思われるが、助けられたような記憶はない。まだ若かった1年2年の担任が声をかけてくれたような記憶は微かにあるが、多くの教師は見て見ぬ振りをしていたのだろう。成人になってから小学校の通知表を見ると、3年で急降下した成績は4年になって急回復しているし、教師のコメント欄には人格否定的な記述があったと記憶する。
今回の事件に自らの経験を重ね合わせると、教育委員会と学校の表裏一体の関係が陰を落としているように思える。頻繁に学校現場教師と人事交流される教委に第三者性は事実上存在しない。教育委員会指導主事は現場教師が任命されることが多いのである。
さらに教育現場は地元教育学部出身者で構成されており、旧師範学校以来の学校と教委の金太郎飴体質は否定できない。それでも茫猿が育った頃の小中学校には多様な経歴を有する教師が存在していた。旧師範学校、新制教育学部以外にも、旧制高校、士官学校、兵学校、青年学校などの多様な経歴をもつ教師の存在があった。
今の教育現場にはそのような多様性は存在しないと仄聞する。教育学部卒業年次が現場に幅を利かせていると聞くのである。そしてそのことが学校現場と教育委員会の庇い合い体質・事勿れ体質を生んでいるのであろうと思われる。
(日経新聞Web 2018/02/09)ほかの児童らからも被害の訴えがあり、学校や市教委が調べると、昨年4月以降、廊下を走った児童など、別の8人の頭を定規やほうきの柄でたたいたり、顔をつねったりしていたことが確認されたという。教諭は「指導に熱が入り、手を出してしまった」と話している。
教諭は2012年にも、4年の女児をペンでたたき、戒告処分を受けていたほか、15年には男児の肩を押して転倒させ、左手首を骨折させた。市教委と学校は事故と判断し、県教委に体罰として報告していなかった。
2012年から隠蔽体質が続いていたということである。学校周辺では様々に語られていたであろうが、隠蔽され放置されていたということであろう。
教育学部出身者が悪いということではない。多様性を認めない、異質を排除する姿勢がここにも存在するのであり、そのことは社会の多様性形成にマイナスとなって働いていると云えば言い過ぎだろうか。児童教育の現場に多様性を醸成する教師構成を求めるべきであろうと考える。
地元教育学部出身者が多くを占めるという教師構成は教育行政効率性の観点からは望ましいかもしれないが、自由闊達な雰囲気からは遠いものがあろうと考える。学校もまた社会の縮図であり、であるが故にこそ多様性(ダイバーシティ)重視や敗者復活重視の教師構成が好ましいと考える。
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