過ぎ去りし日々・今・此れから

若者は明日に生き、壮者は今に生き、老人は遠い日々に生きる、などと言われる。梅雨の朝、そぼ降るこぬか雨は過ぎし日々に浸るに程よいものである。紫陽花の葉を流れ下る雨雫を横目に、アルバム・アーカイブをスライドショーで再生する朝である。

過去という蓄積が乏しい若者が、未来に想いを馳せて生きるのは至極当然のことだ。比較する過去が短い若者は、今を長く感じるものでもある。長く感じる苦しい今や楽しい今であっても、しばらくしてそれを振り返ればいずれも短く思えるものである。

壮者が今に生きるというのも、扶養する子供を抱え年寄りの面倒を見ておれば、今を生きるに精一杯ということでもあろう。今が充実している程に今に満たされているということでもあろう。

老人が過去に生きるというのも、過去に見聞きした様々から先行きが見切れる歳になれば、今や先々も色褪せてしまうだろう。だから過去に耽けるようになる。

耽ける過去は楽しいかと我が身に問い直してみれば、楽しさは瞬時のことであり、二度と再び還り来ない過去は時に甘酸っぱく、多くはほろ苦いものである。

《追記》想いは、高倉健の「あなたへ」から、田中裕子の「星めぐりの詩」を経て、寅さん30作「花も嵐も寅次郎」につながり、寅さん48作目「紅の花」DVへと跳ぶ。

高倉健(2014/11/10没)の遺作から、渥美清(1996/8/4没)の遺作への旅、そのまま2011.3.11(気仙沼)から1995.1.17(神戸)の想いにつながる。2019.12.27『男はつらいよ50 おかえり、寅さん』劇場公開予定 〜松竹映画「寅さん」公式サイト

逝きし人々の追弔会といえば、新暦のお盆はいつからか海の日付近に(7月の第3月曜日、今年は13〜15の三連休)、旧暦のお盆は山の日付近に(08/11、今年は10〜12の三連休)なっていた。毎日が日曜日の身には、三連休も縁無きことだから、まるで知らなかった。

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《追記 ⅱ》いつの間にやら、死者が遠のいているのに気づかされる。父母が亡くなってから九年が過ぎた。毎夕 仏壇の前で正信偈を読誦しているけれど、その都度、父母のことを思い浮かべているわけでもない。多くは読誦の声の大きさ明瞭さなどで、体調の良し悪し、野良仕事疲れの深さなどを計っていることが多い。

”父母の旅支度日記”を開いてみることも間遠になった。開けば、当時のことが思い出されはするが、時折り「あの時はどうだったかな、どんな会話があったのか」などと、もう朧になってしまった、記憶の襞をかき分けることしばしばである。悲しみには「時が一番の薬」という意味の深さをまた味わっている。亜希子の時も博一の時も世話になった”時の薬”である。

過ぎし日々のことを確かに思い出せなくなっている。五月には確かに存在した我が家の前栽・柘植の植栽ですら明らかには思い出せない。ましてや、今の納屋を建てる前(35年頃前)、今の母屋を建てる前(43年前)、旧い母屋を建てる前(70年近く前、六畳二間草葺の平家)、写真などがつながれば断片的には思い出せるが、まとまった記憶にはならない。衰えたのか、記憶が古い澱になっただけか。

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