我輩は駅である -6-

我輩は駅である。ジオラマ茫猿鉄道の基幹・明日開駅が我輩の名前である。過日、我輩のプラットフォーム延長資材を購入に、近在の模型店まで出かけて来た主・茫猿は、茫猿鉄道の新しい仲間を連れて帰ってきた。仲間の名前を叡電『青もみじきらら』という。

叡山電鉄には京都市左京区出町柳駅から八瀬比叡山口 5.6 kmを結ぶ叡山本線と宝ケ池駅から鞍馬駅間8.8kmを結ぶ鞍馬線がある。出町柳駅を交互に発車する両線列車は宝ケ池駅で分岐する。

叡山電鉄の由来を語れば、かつては京都市右京区の嵐山線を運営する京福電鉄が叡山線も運営していた。1985年に京福が全額出資する子会社叡山電鉄となり、次いで2002年に大阪淀屋橋から出町柳までの京阪本線を運営する京阪電車の100%子会社となって現在に至る。京阪電車鴨東線出町柳駅叡電出町柳駅のあいだには連絡通路がある。

叡山電車は京福電鉄時代から嵐山線が嵐電、叡山線が叡電と呼ばれて京都洛北市民に親しまれてきた。今や名実ともに愛称が会社略称となって、市民に叡電と親しまれている。経営的には、お定まりのモータリゼーションの荒波、市営地下鉄烏丸線開通(市街中心部と宝ケ池国際会館を結ぶ)などの影響を受けて安泰とはいえない。

最近はローカル鉄道ブームなどに後押しされて展望列車運行や、桜の時季や紅葉の季節などに様々なイベントを開催してはいるものの通勤通学利用客の減少に歯止めはかかっていない。

茫猿は叡電に深い思い入れがある。1963年に同志社大学に入学した茫猿は左京区一乗寺に下宿した。下宿からの最寄駅は叡電一乗寺駅であり、一乗寺駅から出町柳駅まで叡電に乗車し、出町柳から同志社の所在する烏丸今出川までは歩いた。今出川通りに京都市電は通っていたけれど、貧乏学生だった茫猿は往復の市電代を浮かしてタバコ代に充てていた。

間も無く、河原町今出川交差点南東角の喫茶店(1970年代までは存在したはずだが、名前は忘れた)にアルバイト先を得た茫猿は、毎朝、一乗寺から出町柳そして烏丸今出川へ、学校を終えた夕刻には河原町今出川へ向かい、皿洗いのアルバイトを終えると出町柳から一乗寺の下宿へ帰っていた。そんな日々がしばらく続いたのである。アルバイト先は変わっても下宿は2年近く引っ越さなかったから、叡電に乗車する日々に変わりはなかった。

当時の叡電で今も記憶に残っているのは、大文字焼きの日だとは知らずに乗車していて、叡電の車窓から不意に大文字を見つけた時のことである。暗い車窓に映える篝火の意外性もあって今も脳裏に残っている。

出町柳駅前には柳月堂というベーカリーショップと併設される名曲喫茶柳月堂が今も存在する。学生時代には名曲喫茶に入る余裕など無くて、時折は葡萄パンを買っていた。懐中窮乏時には「鯉の餌」として店頭に売られていたサンドイッチの耳の切れ端をビニール袋に詰めたものを買っていた。

このマヨネーズや辛子がついて乾いた切れ端を、当時発売されて日も浅いチキンラーメンの残り汁に浸して何度か食べた記憶もある。青春時代のド真ん中では、胸にトゲ刺すことが多いのである。今だったらトースターでカリカリに焼いてクルトン代わりと洒落込むのだろうが。

チキンラーメンは出町柳枡形にあった”主婦の店スーパー”で、輸送状況が今とは違うので箱の底に有って細かく折れてしまったラーメン袋が、半値近い安値で売られていたと記憶している。これも今ではトゲ刺す甘辛い思い出である。

学校を出てしばらくしてから、柳月堂名曲喫茶に入ったことがある。アンテイークで重厚な雰囲気に囲まれて聴くクラシック音楽は、古き良き時代のものでした。学生時代に知らなかったのが少しばかり惜しまれますが、今や青春は遠きものです。

さて、話を叡電に戻しましょう。新たに茫猿鉄道の車両仲間になったのは、叡山電鉄900系展望車両『青もみじきらら』です。『青もみじきらら』は同じ900系展望車両で紅葉をイメージした「メープルレッド」に塗装された『きらら』(沿線の雲母坂よりとる)の姉妹車で新緑の爽やかなもみじをイメージした「メープルグリーン」に塗装されています。「鞍馬線開通90周年事業」の一環として期間限定2020年12月迄、運行されています。

※叡電キララの名前の由来である雲母坂は茫猿が下宿していた一乗寺駅(一乗寺下り松も近くの地名だった)から一つ八瀬、鞍馬寄りの修学院駅より修学院離宮に行った先にある離宮外周を巡る比叡山への古い登山道である。いつの頃からか、茫猿の下宿時代には見当たらなかった「雲母漬け」なる漬け物がかつての下宿近くで売られている。

山寺観定寺(カンテイジ)の境内地の繁る緑を背景に進む叡電展望車両『青もみじきらら』である。叡電には他にも比叡山の登山口八瀬比叡山口と出町柳を結ぶ観光列車『ひえい』700系、800系があります。

叡電はローカル私鉄線電車ですが、左京区元田中地内の叡電元田中駅付近で府道181号・東大路通を横断します。この箇所は信号と踏切のある交差点ですが、道路は路面電車と類似する舗装が施されており、部分的には京阪大津線や阪堺電車、あるいは嵐山電車と類似していますから、限定部分的には路面電車と言えなくもないのです。

1960年代当時の面影は何処にも見出せない、叡山電鉄900系展望車両『青もみじきらら』を路面電車軌道敷に走らせながら、茫猿はしばし青春時代のノスタルジーに浸るのです。

ところが、この『青もみじきらら』は車両重量が電機よりもやや軽く作られていることから、平面線路から高架線路に差し掛かる坂路では些か惰力を付けておかないとスリップするのである。早速、勾配を緩くする補修正工事を施工するが、レイアウト面積の制約から勾配の緩和にも限界があり、低速での登坂は油断すると空転現象を免れない。

2007年8月に弟の納骨に京都大谷廟を参拝したことがある。その折に弟の戒名に因む岩倉実相院を訪ねた。実相院は床に映える”床もみじ”、”床みどり”が有名である。その帰りに叡電岩倉駅付近の鉄橋を渡る叡電を撮影した。《岩倉實相院 投稿日: 2007年8月18日 》叡山線・鞍馬線が始発する出町柳駅の風景である。

改めて気づけば、6本連続でジオラマを対象にして「我輩は駅である」記事を掲載しているが、読者も飽々していることであろうし、ここらで一応の区切りとする。 ー完ー

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