風は薫るけれど

風は薫る五月五日であるが、新型感染症の蔓延で沈黙の春でもある。今週末八日は母の十回目の命日、そして十日は今年も巡り来る母の日である。 M.K氏がFBで出口治明著「哲学と宗教全史」を読了しての感想を『今回のコロナ禍が、人類の思想史にとっても大きな曲がり角となることを確信した。せっかくのステイホームの機会。漫然と過ごすのではなく、人類の来し方を振り返り、with AI、withコロナの時代をいかに生きるべきか、思索に充てたいもの。』と述べていた。

茫猿がフォローコメントして曰く『with AI、with COVID-19の時代とは《0 or 1》と《証知生死即涅槃》と云うパラドックスをいかに生きるかであり、混迷と矛盾のなかに灯火を探すことで有りましょう。』

FBのコメント自体もそうだが、フォローコメントなれば尚更のこと、字足らず言葉足らずの意味不明な言い回しになる。其処で少しばかり補足しておこう。

”with AI”を《0 or 1》と置き換えるのは即ち、AIとはArtificial Intelligenceの略であり、人工知能のことである。知的な行為(認識、推論、創造など)を、どのような手順(アルゴリズム)とどのようなデータ(事前情報や知識)を準備すれば、それを機械的に実行できるかという学問であり、大量データとコンピュータを駆使する研究と言って差し支えなかろう。つまりアナログである人間の思考や頭脳を、コンピュータ即ちデジタルの世界に置き換えようと云うことであるから《0 or 1》なのである。

with COVID-19(新型コロナ感染症のWHOの呼称、Coronavirus disease-2019)の時代を《証知生死即涅槃》と云うのは、こう云うことである。発生源も感染経路も定かでなく、ワクチンはおろか感染確認すら未だにままならない新型未知の病であり、高齢者には容態急変のリスクが高い病でもある”COVID-19”を、”諸行無常”とも”証知生死”とも言い換えたのである。

いわば、究極のデジタルともいえる”AI”と、アナログの極みともいえる”諸行無常”、”証知生死”が並存する今を「混迷と矛盾のなかに灯火を探す」と云うのである。

そういえば養老孟司氏がこうも言っていた。少子化と高齢化とは異なるものである。少子化は先々に様々な影響をもたらすものであるし、解決にも長い時間を要する。これに対して高齢化などと云うものは、せいぜい三十年もすれば今の年寄りは居なくなってしまい、人口分布は落ち着くのである。

年寄りに早く逝けと云うものではないが、高齢者に厳しい新しい感染症の蔓延とは一つの摂理なのかもしれない。近頃の筆者が帯状疱疹後遺症(神経痛)に悩まされるのも、水疱性類天疱瘡と云う自己免疫疾患に悩まされるのも、ただ単に高齢化による免疫力低下の為せるわざなのらしい。

高齢者の死因の多くは癌であり、その影響或いは派生としての肺炎死であるのも摂理なのであろう。長生きすればするだけ癌を発症する確率が増え、心臓も大動脈も脳血管も老化によると云うよりも長期間使用による経年劣化が進まざるをえないと云う自然界の大原則なのである。いわば広義の老衰なのである。

厚労省統計によれば、2018年の死亡総数は1,362,482人である。内、悪性新生物 27.4%、心疾患 15.3%、老衰 8.0%、脳血管疾患 7.9%、肺炎 6.9%、誤嚥性肺炎 2.8% とある。肺炎と誤嚥性肺炎合わせて133,116人が死亡している。

COVID-19 による02/01〜05/03現在の累積陽性者数は14,895人、死者数は510人である。年間13万人が死亡する肺炎があるなかで、肺炎をひき起こす風邪やインフルエンザなどとCOVID-19がどのように位置付けられるのか、茫猿は未だに理解できていない。

さて、折角の風薫る皐月空である。ヒラドツツジもサツキも此の春の花付きはイマイチであるが、他の木々は鮮やかである。先ずはシャクナゲである。三十年も前にダム湖予定地から山採りしてきたのは茫猿だが、その後二十年以上も丹精したのは母である。母亡き今も美しく咲いてくれている。
母が丹精していた石楠花そして木香薔薇、つぼみ膨らむ芍薬、青空に映えるハナミズキ。
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続いて、猩々カエデ、エニシダ、食べ頃になった桜桃
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【閑話休題】
『夜廻り猫』全編を読み通していたら、【第五八六話・ もうすぐ(2020/02/21)】に出会った。”夜廻り猫の遠藤平蔵”が寒夜に出逢った瀕死の猫が、「俺はもうすぐ死ぬ」、「死んだらどうなるんだろう」と言いながらフェードアウトしてゆくと云う話である。読み終わって改めて巻頭を眺めたら、掲載日は茫猿の誕生日ではないか。「㐂壽・内々祝:  」と題する記事も掲載している。しかも「泣く子はイネがー」と前号585話を引用しているのである。余りの符合に『暫し茫然』。符合暗合の有り様については「㐂壽・内々祝: 2020年2月21日 」記事をお読みあれ。《2020.05.07 追記》
昨夜の雨も上がり今朝は快晴、まさに五月晴れである。2020.04.07発令の「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」は05/31まで期限が延長された。感染症終息の確かな道筋は未だ見えてこない。沈黙の春は沈黙の夏へと続きそうでもある。

先に記した「死因統計」などの話題を嫌う方は少なくない。縁起でもないとか、私に当分は無縁などと避けるのである。しかし考えてみれば いや考えるまでもなく、誰にも幼児の時代があったように誰もが老年期もやがて来たる死も避けられないのである。生き物である以上は必ず迎える”死”であればこそ、一日に一度か、週に一度、せめて月に一度は、死と向き合うのも悪くはない。

言ってみれば「死のイメージトレーニング」である。尾籠な話だが(大の)トイレを済ませながら茫猿はいつもイメージする。介護者に幼児言葉で労られながらオムツを替えてもらっている自分の姿をイメージする。「そうはなりたくない」と考えるし、「そうなったら、如何に自らを処しようか」とも考える。時には「舌打ちされながら」、「手荒く」処置される「己の浅ましき姿」を思い浮かべる時もある。

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