神道と仏教

 今年もお盆が近くなった。今年のお盆は、「お姉ちゃん」と呼んで長く慣れ親しんだ叔母の新盆である。父母が旅立ってから早や十年、今ごろは彼の地で久方ぶりの再会を喜んでいるであろうか。 お盆に因んで神道と仏教と云うよりも神社と寺院、つまりは社寺仏閣について考えてみようと思う。 なぜだか、日本人の多くは生まれた時は神社に頼り、死ぬ時は寺院に頼るのである。

 つまりは生まれたら「お宮参り」で、次いで七五三詣り、そして最近は教会婚も増えたが神前結婚式も根強いものがある。ところが老い先が短くなるとピンピンコロリを願ってお寺参りをするようになり、挙句に死ねば僧侶を招いて仏式で葬儀なのである。多くは仏式で建立された墓地に納まる、これを納骨と云う。

 日本人の多くが安産を神社で祈願し、誕生すれば神社で祝い、長じては神前で婚姻を披露し、老境に至れば寺参りに務め、やがて僧侶が導く葬儀で旅立ってゆく。何故なのかを考えるのは民俗学者や宗教学者にお任せするとして、お盆ゆえに茫猿なりの皮相的な解釈を試みてみる。

茫猿鉄道ジオラマ

 先ず思い浮かぶのは、神社は土着のもの、ネイテブである。アニミズム由来と云っても好かろう。神道と云うものは江戸末期の国学者由来のものであり、戦前は国家神道として曲げられた歴史があるから、茫猿はあまり好まない。印度に誕生し中国大陸朝鮮半島を経由して渡来した仏教が宗教であることは疑いが無いが、神社が宗教であるかどうかは疑問が残る。

宗教を定義づけすれば、一般に人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことであると云われる。

 その定義に基づけば、儀礼、施設、組織は備えていても、明確な教義の存在は疑わしい神社を宗教と位置づけるのは早計であろう。また神社には二種類あって、その地域の土地をお守りする産土神(うぶすながみ)や、鎮守(ちんじゅ)さま、つまり土着性があり縄文性が色濃い出雲大社に代表される神社と、明らかに日本書紀由来であり天皇家や朝廷との関係性が色濃い神様、弥生系であり高天ヶ原系でもある伊勢神宮に代表される神社とに二分される。

 前者は国津神とも云われ、蝦夷・隼人など縄文系先住民族系の神であり、国譲り神話で国を譲った側とされる。後者は天津神と云われ、弥生系渡来人の神であるが天照大神に代表される神々である。渡来系といっても記紀神話の高天原天孫系であり、秦氏など歴史時代の渡来人とは異なる先史渡来系である。伊勢神宮が天津神の代表であれば、大神神社(おおみわじんじゃ・三輪明神)は国津神の代表であろう。

 更には、初詣で著名な明治天皇を祭神とする明治神宮、乃木希典を祭神とする乃木神社、戊辰戦争以後太平洋戦争に至る戦いで国のために戦死した人たちを祀る靖国神社など近世になってから創建された神社も存在する。 千年以上と云うか定かな創建年時も分からない神社と近世創建の神社これらを総称して、”神社とはなどと物申すこと”はできないし、愚かなことでもある。

 生まれたらお宮参りをする神社は基本的に氏神様である。古臭い言い方であるが、家代々或いは一族が古よりお祭りしてきた氏神様に、一族の新しい命の誕生を報告し、お守りを願うのが「お宮参り」である。近世新出来のお宮さんへお詣りすれば好かろうと云うものでは無い。とまあ、一族の古老みたいな物言いではある。

 そして、長じれば七五三詣りをし、受験合格を祈願し、神前で縁結びを願い結婚の報告をする。家を建てれば神官を招いて地鎮祭を行い、年の初めには初詣をし、春夏秋の例大祭には御輿を担ぎ山車を曳くのである。日々の暮らしに密接に関わる神社は、宗教性を声高に言うよりも世俗慣習ならわしと位置付けたほうがシックリくる。町内会自治会が神社行事(主に祭礼、多く児童が参加する)に関わることに目くじらを立てる人は少ないが、寺院行事とは一線を画すようである。

 お寺に初詣をしない訳では無いが、神社に比べれば次いで感が強い。仏前結婚は例外的なものであるし、七五三寺詣りなどと云うものも無い。京都では十三詣りとも云う虚空蔵詣りがあるが、一般的なものでは無い。飛騨古川では毎年の01/15に三寺詣りなる行事もある。

2020.03.03 ジオラマ

 然し乍ら、お寺は老人のものである感が強く、ピンコロ願いはお寺参りである。何よりも死者の大半は仏式の葬儀告別式で送られる。葬式仏教などと揶揄される所以でもある。

このような人の一生における”お宮さん”と”お寺さん”の棲み分けがいつの頃から出来上がったのか、定かでは無いと云うよりも、不明にて知らない。ただ想像するに、渡来仏教と土着産土神との無用な争いを避ける知恵が、斯様な棲み分けを促したのではと思われる。

 奈良仏教は葬式をしないと云う。奈良仏教の僧侶が亡くなると、近隣のお寺さんに依頼して葬儀を執り行ってもらうのだと云う。仏教が葬儀を行うようになったのは、曹洞宗が最初であり、戦乱に明け暮れる武家の葬儀を取り仕切って以来のこととも云われる。また徳川幕府が寺請・檀家制度を敷いたことにより、寺院と民衆の紐付けが為され、同時に民衆統治や宗教統制も行われた。

 さらに大陸から渡来した仏教は先住土着神とその位置付けを分け合い、共存を図った。宗教紛争を避けようとした日本人の智慧であろう。古く奈良時代より神仏習合或いは神仏混淆を行い、神宮寺や本地垂迹説を唱えた。日光東照宮の権現様(徳川家康の尊称)が名高い例であるが、各地の有名社寺は”守り社”や”守り寺”を併設している。この神仏混淆は明治維新の神仏分離で途絶えた。家々にも仏壇と神棚が併存している例は多いのである。

 さて、何が言いたいのかと云えば、日本人の宗教観と云うものを問い直すのである。海外に赴いた時にキリスト教チャーチを訪ねても、イスラム教モスクを訪ねても、土地の人々が尊崇する施設への敬意は払うものである。同じ敬意を国内でも土地々々の神社仏閣に払いたいものであるし、家々の神へも仏にも払いたいものである。それは多分に「人の尊厳」と相通じるものがあろう。

 天津神も国津神も天照も三輪大神もデジタル合理性とは対極に位置付けられるものであろうし、それは13宗56派とも数えられる華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗などの仏教寺院についても同様であろう。 それらを見直すことが直ちに『我々が身体性の「消去」に向かうのか、「維持」を目指すのか。この岐路に立つ』と云うことにはならないにしても、立ち停まる縁(よすが)にはなろう。 取り敢えずは「Go to Travel」など利用して京都だけではない、全国各地の13宗56派著名寺院に加え天津神に国津神などの著名寺社巡りは如何なものだろうか。

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