他は己ならず

【茫猿遠吠・・他は己ならず・・01.07.06】
 6/5付、只管打座「鎌倉の紫陽花」で今年の梅雨は空梅雨を予想しましたが、
その後6月半ばにはそれ相応のお湿りはあったのですが、その後空梅雨
どころか梅雨明け発表もないのに連日35度を上廻る猛暑です。
地球温暖化どころか、地球灼熱化なのではと思うほどです。
 表題の「他は己ならず」は、「タハ、コナラズ」と読みます。
道元禅師のお言葉だそうです。他人は私とは違うのだ、同じではないの
だという意味だそうです。
 生ずるは独り、死するも独り
共に住するといえど独り、
さすれば、共にはつるなき故なり(一遍上人)
 一人で生まれて、一人で死んでゆく、生活を共にしていたとしても、
心の奥底までも共にすることはかなわない。だから一緒に果てることは
ないのだ。というような意味だそうです。
 以上二つとも、寂聴師の受け売りです。
 別に人間だけが独り生まれ、独り死ぬわけではないので、生きとし生
けるもの全てがそうなのですが、なまじ智慧があり考える葦である生き
物だから、孤独に耐えることができず、寂寥感に苛まれて、無常をかこ
つことに人はなるのでしょうが。
 俺とお前は違うのだ、決して一緒にはできない。俺とお前が人生の全
てを共有して一緒に果てることなど叶わぬ夢なのだ、と、喝破してみて
も、いたずらに気まずい思いを大きくし敵を増やすだけでしょう。
 でも、アイツは俺とは違うのだ、妻でも子供でも友人でも愛人でも、
彼ハ彼ナノダ、彼女ハ彼女ナノダト、己以外の人格を正しく尊重するこ
とに意味があるのだろうと思います。他者を喝破することではなく、自
己に沈省することに意味があるのだと思います。
 寂聴師のお話を伺って、そんなに間がない時に、全く違った意味のこ
とを聞きました。
 親兄弟とか友人とかいう存在は、迷惑をかけてこその存在なのだ。
迷惑をかけまいと気遣ってばかりいたら、親兄弟・友人の意味があるの
か、そんなものは親でも兄弟でも友人でもない。と喝破した方の話しに
接しました。
 当然のことですが、一方的に迷惑をかけるばかりではなく、逆に遠慮
なくかけられてこその親であり、兄弟であり、友人なのだと彼は喝破す
るのです。彼とは、突破者こと宮崎学氏です。
 この考え方も爽快です。縁あって親子と生まれ、兄弟と生まれ、袖す
り会うも多少の縁と云うではないですか。遠慮なくもたれあってこその
縁者・夫婦・友人なのではないでしょうか。
トマアー、ここまで支離滅裂をタイプしてきて、宮崎学氏と大橋巨泉氏
の参議院立候補を想い出しました。お二人に共通点があります。
論評抜きにしてWEBSITEを引用します。
 まず大橋巨泉氏WebSiteから引用します。
「それ程長い時間が残されていないボクとしては、国のためにあたら若
い命を散らした人達と、彼らを戦場に送りこんだもの達の区別もつかな
い小泉首相の化けの皮を、必ずはいで見せます。
畏友寺山修司が好きだったサローヤンの言葉、「男には、負けると解っ
ていても戦わなければならない時がある」をもって立候補の言葉とします。
巨泉氏サイトのURLは以下です。
http://www.seiji.co.jp/kyosen/
続いて、宮崎学氏です。
「さんざん「政策」「解決法」が論議された10年だった。
むなしく世の中は悪くなっていった。そしていま、金融、財政、行政、
教育、司法、みなその「真相」がさっぱりわからないまま「改革」だけ
が叫ばれ、上滑りしているのにそのボードをあやつるサーファーがカッ
コ良いというだけで、小泉首相にエールが送られているのが現状だ。
8割の支持率、というのはこの国の民の思考力が衰えている。
このままではまた「失われた次の10年」になるだろう。
宮崎氏のサイトURLは以下です。
http://www.zorro-me.com/index.html
参院選「立候補」に当たって、のコメントは以下のURLです。
http://toppa.org/2001-7/010703-2.html
小泉人気の異常さと、小泉氏が潜めている危なさについては、5/30付
只管打座に「感じる危うさ」と題して書きました。
(再読は以下URLです)
http://www.morishima.com/cgi-bin/np_shikan/newspaper.cgi?action=view&code=991164306
残った隻眼が痛くなりましたので、本日は、これまで。

関連の記事


カテゴリー: 茫猿の吠える日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください