基準改訂その3(情報の在り様)

【茫猿遠吠・・基準改訂その3(情報の在り様)・・02.01.28】
『不動産価格の行方』
 最近の茫猿遠吠は空理空論に聞こえたでしょうか、現実の地価の有り様を
見ずして観念的空論をこね回している様に聞こえたでしょうか。
私が懸念しているのは。鑑定士の中からも聞こえてくる最近の地価に関する
論調の行方です。「地価の下落は経済全般、特に金融事情に大きくマイナス
の影響を与えるから、地価の下げ止まり或いは下支え政策をとるべき」と云
う意見が、識者のみならず。鑑定士の中からも聞こえてくる風潮を懸念する
のです。
 地価下落は経済にとってマイナスである。だから地価がこれ以上下落しな
い政策を考えるべきであるという意見は、世間の風潮として鑑定評価にも少
なからぬ影響を与えずにはおかないと考えます。
 しかし、少子高齢化とか要素均等化定理とかを持ち出さずとも、日本経済
がグローバル化【好きな言葉ではないが】を指向せざるを得ない以上、日本
の生産手段としての不動産は競争相手の地価水準と均衡化【等価化という意
味ではない】せざるを得ない訳であり、所得水準が上昇する見込みが低い以
上、居住費用もその伸びを止めざるを得ないわけであり、産み出す付加価値
を超えた地価などあり得ないと考えるのです。
 そういった根元的な問題点を突き詰めて考えるところから、地価の趨勢を
見極めることこそが、今求められているのではなかろうかと考えます。
 茫猿とても、地価が限りなく下落すればよいなどと考えている訳ではあり
ません。しかし、日本経済の直面する空洞化や軽薄短小化が避けられない以
上、不動産の有り様を現象的に捉えるのではなく、根幹的に問い直す作業が
必要であろうと考えるのです。小手先の技術論に囚われて、木を見て森を観
ないと申しましたら、言い過ぎでしょうか。
 先般ふれました「川崎市の工場跡地の墓地化」は遊休不動産の有効活用で
あり経済行為として或いは遊休地の最有効使用として、【Sein】として受け
入れるものでしょうか。それとも【Sollen】の立場から再検討されるもので
しょうか。都市形成或いは都市計画の観点からは如何様に考えられるのでしょ
うか。
 この点に関しては、既に異論を頂いております。
工場跡地の墓地化は遊休地の有効活用であり、収益性が高い利用である以上、
否定できない。何よりも高齢化社会において求められる墓地は、居住地から
近いことが要求され、公共交通機関を用いて参詣できる場所に立地されなけ
ればならないという、ご意見です。
 当該墓地について、ニュース記事以上の情報を持ち合わせておりませんの
で、これ以上の論及はできませんが、不動産にまつわる社会・経済現象を無
批判に受け入れることだけは避けたいと考えます。
『不動産市場と価格』
 鑑定基準は「不動産は、適正な価格を形成する市場を持つことが困難であ
り、したがって不動産の適正な価格については専門家としての不動産鑑定士
等の鑑定評価活動が必要となる」と言います。
しかし、本当に不動産は適正な価格形成の市場を持つことが困難でしょうか。
 証券取引所のような市場こそ不動産はもっていませんが、毎日折り込まれ
てくるマンション分譲広告、毎週発行されている賃貸住宅情報誌、最近では
インターネット上でも多くの売り出し情報が流れるようになりました。
これらは、まだまだ不完全な市場ではありますが、もともと、どのような財
にも完全市場などあり得ない訳ですから、「不動産には適正価格形成の場が
ない」という前提から見直す必要があるのではないでしょうか。
 「市場がないから、鑑定士が成り代わって、適正な価格を指し示す。」
という立場に立つのと、
「不動産にも市場はあるが、不完全であり個別性が強いから、鑑定士が補強
・補完する。」という表現とは、似て非なるものがあると考えます。
このことは、事例資料の事情補正に際して大きな影響を与える様に考えるの
ですが、如何でしょうか。先ず、市場ありき、市場に聞く、その後に鑑定士
が補強・補完するという立場に立ちたいものと考えます。
 そのような視点からは取引事例比較法が市場資料比較法や市場資料分析法
に転じてゆくと考えるのです。コンピューターの利用が進み、データのデジ
タル化が進んでいる今では、数個の事例を選択し比準するという手法自体が
時代遅れになってしまっているのではないでしょうか。
アナログ的手法を否定するものではありません。デジタル的手法【統計解析
的手法】を用いることが可能な時代に入っているのに、そのことに眼を向け
ようとしない姿勢を問題にしているのです。
『鑑定士の中立性・独立性』
 地価公示をはじめとして鑑定評価に対する社会の批判は、その根源に「鑑
定士の中立性や独立性」が、問われているのだと考えます。
外観的にも実態的にも、鑑定士が中立性や独立性を維持し、社会の信頼をか
ち得るためには、何を為さねばならないのかということが問われているのだ
と考えます。2チャンネルをはじめとする批判にはいわれなきものも多いで
すから、一つ一つに言揚げする必要はないでしょう。しかし、なぜそのよう
な批判が起きるのかを謙虚に省みる姿勢を欠かしてはならないと考えます。
『地価公示至上主義について』
 地価公示について、批判を許さない雰囲気があります。極端な例では地価
公示の作業マニュアルが不満であれば、地価公示を辞退すればよいという極
論すら聞こえます。批判を許さない地価公示至上主義、或いは無謬主義が地
価公示の進歩を阻害しているのではなかろうかと考えます。
 地価公示が不動産鑑定の実務標準として機能し続けるために、我々が利用
可能なツールを改めて見直してみるべきだと考えます。特にデジタル化時代
の事例処理方法や比準方法について抜本的検討が求められていると同時に情
報公開の有り様の再検討も求められていると考えます。
・・・・・・いつもの蛇足です・・・・・・・・・
 本稿に関連して、多くの駄説を『鄙からの発信』に掲載してきました。
ご関心とお暇のある方は、『鄙からの発信』TOPページ「検索」より、以下の
キーワードで検索してみてください。
比準表、取引事例、収益事例、悉皆調査、不動産センサス、地価公示、鑑定
協会 等々の用語で過去ログが検索できます。
 総じて、鑑定協会や鑑定業界は評価業務の維持拡充に汲々としているので
はないでしょうか。また、算盤や電卓時代の手法やノウハウに囚われ過ぎで
はないでしょうか。同時にアナログ的評価基準や評価手法にこだわり過ぎて
いて、デジタル化の時流に背を向けているのではないでしょうか。
 デジタル化ツールとスキルを駆使して、情報収集能力の向上に一番努めな
ければならないと考えます。
 またデジタル化との関連でいえば、我々の持てる情報を可能な限り安価で、
できれば無償で社会に還元してゆくことを視野に入れなければならない時代
に入っていると考えます。鑑定協会に限らずNPO的な活動も視野に入れな
ければならないと考えます。
この件については、同じく『鄙からの発信』に「軛の消滅と革袋の溶解」と
題する投稿を掲載しています。検索してご一読頂ければ幸いです。
・・・・・・・本章終わり・・・・・・・

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