NPOと鑑定士協会

【茫猿遠吠・・NPOと鑑定士協会・・02.02.21】
 前号「蟷螂の斧」記事中でNPO問題に少しふれましたところ、次のような投
稿を頂きました。
※投稿転載
 基本的に私も同意見ですが、くだんのNGOの年間予算の70%近くは政府など
からの補助金=税金だったとの報道もありました。
もちろん税金使ってるからお上の言うなりにならなければいけない筋合いは
ないのですが、そこを逆手にとって「あれは"NGO"じゃない。ヒモ付き外郭団
体だ」と揶揄する知識人もあるようです。
 自主的活動のためには自主的予算が必要なのであり、日本のNGO/NPOはその
点まだまだ未熟で反省しなければいけない部分も多々あるようには思います。
最近のブームで、「補助金確保」に血眼になっているNGOは少なくありません。
これにはNGO自体の未熟さもありますが、個人の寄付を法制度化していない税
体系にも問題があります。これは社会全体がNPOをメインセクタとしてではな
く「隙間のお掃除屋さん」としか認知していず、位置づけがまだ中途半端だ
からでもあるでしょう。
 結局のところ、グランドデザインの欠如がこんなところにもあらわれてい
るように思います。 (転載終わり)
※NPOとは
 NPO(Non-Profit Organization=民間非営利組織)とは、医療、福祉、環境、
文化、芸術、スポーツ、まちづくり、国際協力・交流、人権・平和など、あ
らゆる分野の市民活動団体等の非営利組織のことです。 民間の立場で活動す
るものであれば、法人格の有無や種類を問いません。
※NGO(海外協力市民団体)とは
 Non-Governmental Organization の略で、もともとは国連と政府以外の民
間団体との協力関係について定めた国連憲章第71条の中で使われている用
語です。日本では主に開発,環境,人権等で海外と協力関係を持って取り組
んでいる市民組織をNGOと呼んでいます。
 ところで、平成13年4月9日付、内閣府国民生活局報告による「市民活動団
体等基本調査」を見ると、大変興味深いものがあります。
この調査報告の冒頭で、民間団体組織についての分類が掲げてあります。
横軸左が営利法人、横軸右が非営利法人と区分し、縦軸上が公益、縦軸下が
非公益(私益・共益)と区分してあります。
 この分類の左下に位置するのが営利企業(株式会社・有限会社)であり、
右下に位置するのが互助的組織とあります。
 右上にNPOが位置づけられます。最広義のNPOは縦軸右側に位置する組織全
てが含まれますが、一般的には右上に位置づけられるものをNPOと称するよう
です。
 このNPO分類の広義は、民法の公益法人あるいは社会福祉法人があり、狭義
のNPOは市民活動団体があり、最狭義のNPOとしては「特定非営利活動法人」
が位置づけられています。特定非営利活動法人は、特定非営利活動促進法に
定められる手続きに即して所轄庁の認証を受けなければなりません。
「市民活動団体等基本調査」 平成13年4月9日 内閣府 国民生活局
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/2001/0409shiminkatsudou/main.html
 さて、ここからが本題です。
不動産鑑定士で構成され、社団法人である不動産鑑定士協会は公益法人であ
ります。しかも広義のNPOに位置づけられるものであり、設立の趣旨を問
うまでもなく広く公益性を重んじた事業を定款に掲げるものであり、税法上
の優遇処置も受けている組織です。
 しかし、不動産鑑定士は自らが所属する士協会が、NPOであると常に意
識しているでしょうか。ともすれば、前掲分類の右下「互助会的組織」とし
ての機能を優先させているのではないでしょうか。
 いいえ、もっと内向きに、鑑定士の為に機能しない士協会など無益・無意
味だと考えているのではないでしょうか。何も不動産鑑定士協会だけがそう
ではない、どの公益法人でも似たようなものだと責任転嫁しているのではな
いでしょうか。
 投稿にいう、多額の補助金という指摘が茫猿の胸に深く刺さるのです。
地価公示・地価調査という事業を独占的に受託している実態を、正しく考え
なければならないと思うのです。公示・調査の性格とか事業内容とかには立
ち入りません。
 しかし、形式の問題ではなく実質的な意味で、政府・自治体からの事業
受託が大きなウエイトを占める組織が公益性を意識すること少なく、共益性
や互助性に傾き易い実態と、真摯に向き合うことが大事なのだと考えました。
尚、地価公示等は事業内容自体には公益性が高いとはいえ、鑑定事務所及び
鑑定業界にとっては、報酬を得て行う収益事業であることは、紛れもないと
茫猿は考えます。
 読者諸兄姉は、如何にお考えでしょうか。
茫猿の云うことは、きれい事に過ぎましょうか。
原理主義という用語は、最近では悪のイメージで語られることが多いのです
が、本来は根本主義とかファンダメンタリズムと云うべきものであり、原理
・原則に立ち返って、今の実状実態を見直そうという考えたいのです。
 とかく、組織というものは、時の経過と共に、初期の目的から逸脱するこ
とが多く、設立当初の情熱がいつのまにか組織維持の論理にすり替えられる
こと多く、組織のための組織であるようになったり、内向きの論理や現実の
利害調整に埋没することも多いものです。
 個々人の努力結果としてのライセンス取得ではありますが、取得後は法に
よって独占的地位が与えられている以上、ノーブレス‐オブリージを意識し
た在り方が、個々人にも組織にも求められると考えます。
 世慣れた現実論を全て否定するつもりはありませんが、きれい事や理想論
を忘れた現実論は醜悪なものに墜ちてゆく危険が高いからからこそ、「脚下
照顧」を忘れずにと云いたいのですが、身の程知らずでしょうか。
・・・・・・・本章終わり・・・・・・・

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