業界新参者の怨念

 おどろおどろしい標題を付けたが、茫猿が最近に比較的若手の業界人と話していて感じたことである。 断っておきますが地元会関係者のことではない、他の都府県士協会所属関係者のことである。とはいっても、地元会にも似たようなものが底流に存在するように感じるし、同年代の他の同輩からも似たような感慨を聞いたことがある。
 要するに平成バブル以前と以後、あるいはリーマンショック以前と以後という分類もできるのかもしれない。 将来に夢を見て、バラ色の明日をさんざ聞かされた上に、数年間の苦労を経て業界に参入してきたものの、聞くと見るとでは大違いであって、2ちゃんねる風に言えば「ボス鑑」やら「ジイ鑑」が跋扈している上に、ゼロサムのパイは縮小を続けている。


 「ボス鑑」やら「ジイ鑑」は口を開けば優しい言葉をかけてくれるけれど、その実、席を譲ってくれる気配は全くない。 老齢年金受給年齢を随分と過ぎていながら、シェアを守るに汲々としている。 お定まりの高齢化で元気な「ジイ鑑」はいっかな席を空けてくれる気配はない。 何のための数年間もの努力だったのだろうか、「何をどうすればよいのか判らないし、女房子どもにいつまで肩身の狭い思いを続けるのであろうか!」と嘆くのである。
 基本的に自営業は自助努力とはいっても、茫猿そのものが息子達に日頃云われているように、「親父達は逃げ切った世代なのだ、俺たちは閉塞に絡め取られている世代なのだよ。」という述懐に同じことなのである。 高度成長期からそれが終わったあとも、その余光のなかで過ごしてきた茫猿には返す言葉が見つからない。
 茫猿に詠嘆を長々と語った彼は、「来年も同じ状況なら、私はケツをまくる。」という。 「ケツをまくる」というのが何を意味するのか語らなかったが、待たされ続ける閉塞状況にいい加減疲れているように見受けられた。
 茫猿と同時代を過ごした諸公だって、皆が同じというわけでは決してない。 ないけれど多くの同業者が時代のすう勢にあと押しされたのは否めないことであろう。 地価公示の次に地価調査制度が発足し、公共事業関連評価依頼は年々拡大し、70年代後半には国土法添付鑑定に第三鑑定という神風が吹いたし、80年代後半には補償コンサル土地評価、そして固評という風にも大きく後押しされた。 つい最近は時価評価やデューデリ評価に証券化評価などという風もあった。
 最近に記事にした制度改革の話は、いわば不動産評価のコモディテイ化への対応策とも云えるのであろう。 この流れに棹を挿すのか、それとも独自の方向に進むのか、若手にも悩ましいことだろうが、それらの分野とて古参がのさばっている。
 ライセンス業界は何処も同じだという、弁護士さんも公認会計士さんも就職難だと言うし、税理士さんは顧問料の減額を求められるうちはまだましで、顧問先が廃業するのも少なくないと云う。 不動産関連の他の資格業界とて、ライセンス保有者拡大傾向とこの不況下では如何ともし難いと云う。
 茫猿がこの数年、少しずつ席を譲っているのは「牀座施」などと格好イイことを言うつもりは全くない、体力気力の衰えが然らしめるところと自覚している。 ただ先達と位置づけられる立場にいつしかなってしまった我々「ジイ鑑」は、やはりなにがしかの自覚が必要であろうと思われる。
 またぞろ風を頼む気配が濃厚であるが、業界はいつになったら風頼みから抜け出せるのであろうか。 有効な新規事業分野が溢れている訳ではないし、新規事業分野を開拓するにしても資金力や企画力が必要なわけだからこそ、先達は新しい分野に後進を誘導した上で、新規分野開拓を後押しするのが務めというものであろう。 
 こういう言い方はキレイゴトに過ぎるかもしれない。 業務は競って手に入れるモノだ、努力なくして手に入るものではないというのは簡単であるし、一面の真理であろうが、業界全体の均衡ある発展を考えれば、全体としての底上げが必要であろうし、そのことが社会の信頼に応えることとなるであろうと、茫猿は考えている。
 共存共栄と言えば聞こえが良いが、新しい分野に挑戦し、企画開発してゆく力はやはり若手に期待するしかないのである。 茫猿が昨年来関与しているNSDI-PTにしたところで、茫猿自身が興味あるということが第一だが、業界のために特に若手の業務拡充や開拓の一助になるであろうと考えることにある。 NSDIとかGISとかWMSとかヘドニックアプローチなどというものは、緑寿の茫猿にはもう手に余るのである。
 だからこそ、新鮮な若手の創造力や突破力に期待するのであるけれど、その日の事務所の稼ぎに心奪われていては、それもママならぬことであろうと思われる。 先達が道を少し開く、批判者の弾避けになる、あるいは持ち得たコネを活用する。 そのあとは後進者の知力、気力、体力に期待して大きな花が咲くのを待つ、今はそんな思いである。 先達が己のシェアを守るに汲々としていれば、新参者の怨念はふくらんでゆくだけであろう。
 
 天空の理想像を目指して、地表の現実から、
   努力の階段を一歩づつ着実に昇ってゆくことが、
     士(Samulai)たる者の、取るべき道と考えます。
                          「茫猿敬白」

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