そんなに書くことないし、書いてばかりもいられない

 何故そうなのかという原因は自身で判っているつもりだが、何やら不逞愁訴気味である。 正しくは、不定愁訴とも云う類の気分である。 そんなに毎日書くこともないし書き続けてもいられないのである。 旬日ほど前に、鄙発信読者からこんなお話しをいただいた。 「時折面白く読ませていただいているが、政治ガラミの記事は三人称で書くべきでは?!」と云うのである。 RCでは政治と宗教の話は禁句である、禁句というと厳しいが避けるべきと教えられる。 教えられなくても、食卓では政治や宗教の話題は避けるというのがマナーと心得ている。


 様々な立場が存在するし、様々な因縁や柵(シガラミ)に取り囲まれているのが普通のオトナの世界だから、座を和やかに保つには、周りに居合わせた人達の気分を害したり困惑させない方が良かろうというオトナの気遣いなのである。 読者氏からも政治向きの話は直接話法でなく間接話法を採用して、無用の摩擦を招きそうなことは避けた方が良かろうというご心配を頂いたのだと受けとめている。
 茫猿はこれでも多少は世慣れているつもり(あくまでも自分だけの積もりですが。)だから、その種の話は避けてきた。 多少は記事にしても、深くは書かないようにしているし、微妙な問題については触れないようにしてきた。 とは云うもののその種の世慣れさはホメラレタものとは決して思っていない。 ある種の卑怯さを感じてはいる。
 先日も「茫猿節(モリシマブシ)はもう宜しいから。」と座長に遮られてしまった。 話題となっていたテーマについて、なにやらテクニカルな話ばかりが先行するように聞こえてならないから、戦略論とか原理原則論とか、今日明日の話でなく少し先:近未来論やターゲットテーマ的なことと、自身では考えていることを数分話してしまったのである。 その結果として、座を白けさせたようである。 つまりKY(座の雰囲気が読めていない)だったということである。
 多少というか相当に鼻白んだのであるが、鉾を収めたら何となく虚しくなってきて、どうせ自分は緑寿なのだし、どうでもいいやと思えてきたのである。 一種年寄りの僻みなのでしょうが。 ことさらに、しかつめらしく言えば「循環的初老性僻目倦怠症候群」とでも名付けるか。
 これもまた、某月某日、古い友人に「今、オマエは一番シアワセなのだよ。」と言われてしまった。 決して不幸だなどと思いもしないが、某氏にだけは言われたくないと思ったら、これまた空しいというか何やらやら遣る瀬無くなってきたのである。 そんなこんなを思うと、どうやら季節の変わり目、値踏み屋人生の変わり目に差し掛かってきて不逞な愁訴気分が溢れてきているようだ。
 餘部鉄橋に行ったことから、昨夜は夢千代日記、続夢千代日記のDVDをほぼ徹夜で見通してしまった。 計五話連続のNHKドラマの2クールだから45分X10話=7時間半である。 途中で止められなくて見終わったら朝になっていた。 何度も何度も餘部の鉄橋が背景に出てくるのである。 吉永小百合と林隆三の出会い、駆け落ちしてゆくケーシー高峰&楠トシエ、家出少女に声をかける吉永小百合などなどのシーンである。
 吉永小百合はこのドラマ出演のあと、原爆詩集朗読を生涯のテーマにしているのだと云うが、さもありなんである。 早坂暁のオリジナルシナリオも武満徹の音楽も、深町幸男の演出もとても佳いのである。 声高に反原爆など何も言わないけれど、とても優れた反核ドラマと評される所以であろう。 1980年前後のテレビドラマは凄かったと思わされる。
 何よりも吉永小百合を筆頭に、秋吉久美子、緑魔子、石田あゆみ、壇ふみ、皆若くて輝いている。 三十年も前だから当たり前と言えば当たり前だが、夏川静江、加藤治子、佐々木すみえ、樹木希林たち脇を固める役者達だって、懐かしいし輝いている。男性陣にふれないのは片手落ちかもしれないが、彼等も良かった。
 今夜は映画版夢千代日記を見ようと思っている。 そして雪が舞う頃になったら湯村温泉に行きたいなと思わされている、多分ゆくだろう。 年末か年度末には景気底割れ二番底が到来するだろうと囁かれている時にお気楽なことだと「ダカラ茫猿はシアワセなんだ。」とまたまた揶揄されるだろうけれど、イイではないか不逞愁訴だもの。
 その前に買いそびれている「新夢千代日記(松田優作編)」を求めなければいけないのである。 多分、夢千代マニアに言わせれば、新夢千代日記を見ずして夢千代を語るなかれと云うであろう。

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