弥生三月七日

早春探しの出羽・津軽への旅から帰って、既に三日だが、何も未だ書けないでいる。
書くことがないわけではなくて、有り過ぎるのである。 旅から帰れば、「情報の開示と共有」記事(上申書)に関わるレターが届いていて、先ずはこれについて書かねばならない。ならないが、これがとても難物なのである。一応の原稿は書き終えたものの、まだ推敲途上にある。


幾つかの雑事も溜まっているし、なにより確定申告という超俗事も〆切が控えている。玄侑宗久師と南直哉師との対談問答も読み切らねばならない。出羽津軽紀行について書こうとすれば、膨大な写真の整理を先に済ませねばならない。 芽起こしの雨が降り始めているから、畑の準備も始めなければならない。「ならない尽くし」の今日この頃である。 そうそう、NSDI(ReaMap:地理情報システム)のその後並びに次年度についても報告しなければならない。 だからリピーター諸氏には、今しばらくお待ちあれと願うのである。
三寒四温かと思えば、四寒三温なのではと思える今日この頃、お風邪など召されぬようおいたわりりあれと祈ります。 春来たれば花粉症も来たるのであり、既往症の方々にはお見舞い申し上げます。 旅路の終わりに奥羽本線新青森駅:雪深きフォームから撮った、雪景色 東北新幹線新青森駅前を一枚だけ掲載します。

数日もにわたって家を空けたのは一年半ぶりのことである。夜遅く帰宅して、先ずは母屋の両親に帰宅の挨拶をする。無言で迎えてくれる両親だが、なぜかほっとする。 次に母が使っていた部屋にゆき、祖父母、両親、娘、弟の遺影に挨拶する。 祖父母の遺影は戦前のことであり、今となってはその由来はわからない。 父と娘と弟の遺影は葬儀祭壇に飾られたものである。 母の遺影だけは、母自身が生前に用意しておいたものである。並んでいる父が微笑みを浮かべているに対して、母は紋服を着用しすましている。 たぶん、病名の告知を受けたあとのいつかの日に、近在の写真館へ行って用意したものであろう。
母のこの写真は、父が亡くなったあとに母屋を整理していて見付けたもので、その存在すらも聞かされていなかったものである。 自分の佳く撮れている写真と、ややピントのぼやけた父の写真の二枚が、写真館の封筒に入れて戸棚の奥にしまってあったのを見付けたのである。 どんな思いで夫婦ふたりの写真を用意したのか、にもかかわらず何も言わなかったのかと思いにふける。
たぶん、死の予感はあっただろう。でも連れ合いを送り出してから、先に夫を送り出すのが務めと思っていたのも間違いなかろう。だから、父が亡くなった時に写真の存在を明かせばよかろうと思っていたのだろう。 そして、そのまま「自分が選んだお気に入り写真の存在」を伝えることなく、父より先に逝ったのだろうと想像する。
写真は十数年前の若かりし頃のものであるが、不思議なことに原板が何処にも見つからない。 九十目前になっても七十以前の写真を用意した母の女心に気付けば、何やらなごんでくるのである。 私が毎年の正月か誕生日に遺言を用意するようになって、もう数年になるが、ぼちぼちお気に入り写真も用意しておこうかと思い始めている。
最近は「断・捨・離」が話題になっているが、私は六十を過ぎてからは「三カク」を意識して生きている。 恥をかくことを怖れない。 義理を欠くことを悔やまない。 見栄を欠くことを日常とする。 だから「三カク」なのである。 知らないことは出会った若者に素直に教えを乞う、義理という俗事へのこだわりを捨てる、無駄な見栄(虚飾)をはぶいて簡素に生きる、これが三カクである。

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