『鄙からの発信』:情報の開示と共有 (2011年2月28日)と題する記事について、不動産鑑定士S氏からご意見をいただきました。 S氏は『不動産鑑定業将来ビジョン研究会Cチームは、「依頼者からの価格誘導対策」という倫理の問題を取り扱う委員会であり』、上申書が云うところの「鑑定評価書の開示制度」は、「依頼者プレッシャ-対策」とは異なる事項であろうと言われます。
S氏のご批判について、茫猿の考えるところを述べたいと思います。 同時にS氏のご批判などを『鄙からの発信』に開示する意味についても、茫猿の考えを述べたいと思います。 なお、「情報の開示と共有」記事にはコメントが四件寄せられております。 特に沖縄県士協会において試行されているモニタリングに関するコメントは実践例を示すものであり、是非ともご覧下さい。 証券化不動産の鑑定評価のモニタリング委員会でのWG座長を三年間勤められた清水氏のコメントもご注目下さい。
『S氏からのメール:概要』(2011.03.08付けメールにて削除要請がございましたので、概要のみ掲載します。)
茫猿氏が不動産鑑定業将来ビジョン研究会へ上申された提案は、同研究会が検討を重ねている「依頼者プレッシャ-対策」とは、やや異なる内容と考えます。
ビジョン研究会の扱う内容は「倫理」に関わる事項であり、依頼者が鑑定士等に対して「鑑定評価額について誘導を行うことを防止」するための対策を検討する委員会と考えます。
(中略)自分の出した結論を依頼者の要請によって、鑑定士が自ら変更するということは、違法性・犯罪性に繋がっているということであり、依頼者サイドも鑑定評価を依頼するときに、このことを十分に理解して、中立公平な鑑定評価を求めてもらうような認識を社会一般に形成していくことが必要かと考えています。
(中略)鑑定士は、自己の判断を、依頼者の要望によって変更することが当然であると世の中が認識し始めたならば、もはや、鑑定評価は社会の信頼を失い、労力と時間をかけた納得の行く市場調査に基づく鑑定評価の必要はなくなり、単に簡易な調査による精通者意見のような低廉なニーズでしかなくなってしまうのではないかと考えています。
茫猿氏が提案する「鑑定評価書の開示制度」は、不動産鑑定業将来ビジョン研究会・Cチームが所掌する「依頼者プレッシャ-対策」とは異なる事項であろうと考えます。
一、S氏のレターを開示することの意味
鑑定協会内部の応酬を『鄙からの発信』に開示することの是非は問われるものであろうと承知しております。 しかし、既に開示した上申書に関わるご批判を秘することなく開示することは当然のことであるし、『鄙からの発信』主宰者としての責務でも有ろうと考えます。
また別の観点から、「鑑定協会内部における検討過程等を公開することの是非」も問われようと思いますが、鑑定協会はその公式サイトにおいて「不動産鑑定業将来ビジョン研究会(報告)」を既に公開するものであり、それら報告に対する上申書や、上申書についての批判を公開することは、「不動産鑑定士の社会的責務」の観点からして意味あることと考えます。 そのことが即ち「情報の開示と共有」なのであろうと考えるからです。
二、「鑑定評価書開示制度」は、「依頼者プレッシャ-対策」とは異なるのか。
「依頼者プレッシャ-対策」について、S氏は「不動産鑑定士の倫理」を再確認し高揚することにあるとお考えのようです。 ところで鑑定協会公式サイトのTOPページ「基本理念と運営方針」において、鑑定協会は次のように述べます。
「不動産鑑定士は、専門職業家として、この不動産の適正な価格の形成に資するとともに、鑑定評価の実践をもって、社会の信頼と期待に応えなければならない。」
―自律機能の強化―
鑑定評価の信頼性を高めるため、法令遵守と職業倫理の確立に努めるとともに、内部統制による自律機能の強化を図る。
《 自律機能の強化のための施策 》
・ 法令遵守の徹底
・ 職業倫理に関する教育
・ 鑑定評価におけるモニタリングの構築
茫猿はここに示される理念と実践について、こう読みとります。 法令遵守の徹底と職業倫理確立という目標を達成するための具体策が「会員対象の継続的研修教育」であり「モニタリングの構築」であろうと考えます。 会員研修並びに教育は継続的に実施されているものの、受講をもってよしとされがちであり、その効果については些かの疑問が残ります。
モニタリングについては様々な解釈があろうと思われますが、一般的には「鑑定評価の継続的点検」、あるいは「鑑定評価の継続的監視」と解してよかろうと考えます。
このモニタリングに関する施策の一つが先頃公表された「平成20年度証券化鑑定評価実施状況調査結果」であり、あるいは来年度に実施を予定する「公共用地の鑑定評価審査体制構築案」等であろうと考えます。 前者はアンケート調査であり、後者は抜き取り調査です。モニタリング構築の端緒として意義有るものと考えますが、社会の要請に十分応えるものかという観点からはまだ不十分でしょうし、広く鑑定評価等全般を捉えてはおりません。 またその実施に多くの労力や煩瑣な手続きを伴います。
それらを解決する具体策として「Rea Review」すなわち、インターネットを通じた評価情報の開示と共有という施策を提案するものです。
Rea Reviewはその実施に多額の経費や多くの労力を要しません。個々に価格審査等を行うものでもありません。 情報開示により社会の批判的な視線にさらされることを厭わないということであり、評価情報を共有することにより互いに高めあってゆこうというものです。
言い換えれば、評価書情報の開示を宣言することにより、社会が企業及び公共団体等依頼者に期待するCSR(Corporate Social Responsibility)実践のお手伝いをしようとするものです。また、情報開示はモニタリングを多数のステークホルダー(利害関係者)に委ねようとするものでもあります。 そのような意味からは、究極のモニタリングとも云えるものであろうと考えます。
三、「匙加減」と「閾値」について。
茫猿が云うところの「匙加減」と「閾値」について、S氏は「故意に価格を変更したこと」と理解され、「A鑑定士が100万円と判断したならば、それを1万円変更することは良くて、50万円変更したら不当だということはなく、1万円でも依頼者の要望により変更することは『故意』に該当することになる。」と、ずいぶん直截的に述べられています。
茫猿が云う「匙加減」とは、そのような直截的「価格指示」ではありません。そのような「価格指示」は論外であり無礼なことと考えますし、現実にも稀なことであろうと考えます。
茫猿が云うところの「匙加減」とは、評価依頼に際して依頼者が様々な示唆を行い、受託した鑑定士が鑑定評価の過程において、それら示唆に伴う斟酌をすることを指します。
具体的には、「買収が難航している。」、「速やかな売却が困難と思われる。」、「評価額以上での売却、あるいは評価額以下での買収、等々の依頼者側の内部基準の存在」、時には、「それら依頼者事情にとって好ましい事例の教唆」、「依頼者が概算する収支計算の教唆」などなど、実に様々な評価依頼者側の依頼事情の示唆と『委細お酌み取り頂きたく、よろしくお願いします。』という類の御挨拶を指すものです。
「閾値」というものも「100万円から110万円」と云うほど直截的かつ具体的なものではありません。 S氏も述べておられるように「鑑定評価の本質は個々の鑑定主体が下す判断を伴うものであり、故にA鑑定とB鑑定の判断が異なることはあり得る。」ものです。 具体的なことを述べるのは控えますが、鑑定評価はその過程における多くの判断の集積と申して差しつかえなかろうと考えます。
であればこそ、一つひとつの判断について、客観的な説明責任が求められると考えますが、同時に判断であるが故に「判断という壁の中」に籠もることもあり得ます。
茫猿が申すところの「閾値」とはそういう類のものです。いわば良心にかなう限界値と表現してもよろしかろうと考えます。また誤解を怖れずにいえば、A鑑定も真実、B鑑定も真実ともいえるものです。
これら「匙加減」と「閾値」は、狭い範囲における利害関係者を意識するものであり、壁の中指向であり、内向き論理ともいえるものです。
しかし、不動産鑑定評価はその結果を通じて、じつに多くの利害関係者に大なり小なりの影響を及ぼすものであり、同時に適正な不動産価格の形成に資するものでなければならないとされています。 茫猿のごとき思慮浅き凡人にはおよそ達成不可能な、実に高度な倫理観を求めております。
であればこそ、「鑑定評価情報の開示と共有」すなわち「開示されることに伴う、第三者による継続的監視の存在」を、「越えてはならない閾値の存在」として、自らの枷ともいえる指標とすることが好ましいと考えるのです。 なによりも具体的な実践行動の伴わない「倫理提唱」は、有害無益ですらあると考えるのです。
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