茫猿も反省する

【茫猿遠吠・・茫猿も反省する・・01.07.21】
 読者諸兄姉、茫猿はトリレンマ状態におかれています。
ディレンマという言葉がありますが、固評標宅鑑定に関して茫猿を巡る
状況はトリレンマ状態です。
 固評鑑定などは視野になく、証券化や投資顧問業など先端分野に邁進
されている都市圏鑑定士の方々からすれば、小市民的かつ田紳的なお笑
いぐさなのでしょうが。
 先号の林逸男氏の声明文にみるまでもなく、地方圏鑑定士のおかれた
状況は危機的と云っても過言ではない状況にあります。
 茫猿の身辺状況を申し上げれば、我が士協会の担当役員諸氏が懸命に
模索してこられた士協会包括取纏契約ですが、見積書発行ですら四苦八
苦する状況であり、今に至ってもも本心から士協会契約を望んでいる市
町村が存在するのか実に疑わしい状況です。
 相当数の市町村で既に個別単独契約が内定しているという未確認情報
がある上に、契約締結の透明化と報酬額の低減を意図して、少なからぬ
市町村が指名競争入札の実施を計画しているようです。
 先日も私の元にも新たに某町から指名するという内示があり、ついて
は入札参加資格審査申請書を至急提出願いたいという連絡がありました。
 鑑定評価の委託契約に競争入札等の価格競争はなじまないという自己
の信念にしたがって、例の如く謹んで、指名内示を御辞退致しましたも
のの、事務所の主宰者として正しい選択であったかと考え込んでいます。
 さてトリレンマその1とは、入札であれ見積合わせであれ、その競争
機会に参加しなければ、業務獲得の機会すら得られないという悩みです。
【この期に及んで、鑑定評価随意契約の妥当性を説いてみても、聞く耳
など持つ市町村は少ないと云うことです。デフレ経済とか自治体財政の
悪化などと云わなくても、より良いものをより安くというのは普遍的真
理である訳です。】
 しかし、見積合わせや入札行為に参加すれば、業務を獲得するために
は報酬低廉化競争に参加しなければならない。少なくとも参加したとい
う他者の認識は避けられない。
 第一、一定数の入札参加者が確保できなければ、入札自体が成立しな
いのだから、積極的に落札の意志がなくても応札自体が競争入札を有効
ならしめる行為なのです。同時に、競争入札に参加した以上は、落札に
向けて積極的に努力するのが市民としての義務であるはずです。
 仮に報酬額低廉化競争に勝ち抜いて評価業務を獲得したとしても、共
同して作業を行う仲間が得難いし、安値受注競争を煽ってしまったとい
う自責から免れ得ないという悩みが二つ目です。
【見積報酬額を安くしなければ競争に勝てないし、安くすれば世間に蔓
延している価格破壊競争の開始になる。まして将来共に勝ち抜ける自信
はないし、いたずらな報酬低減競争が鑑定評価の質を高めることにつな
がるとは、とても思えない。
 特に、報酬額見積積算の基礎となる仕様書が曖昧な状況下で、競争入
札が行われれば、単純な安値受注競争が始まるだけである。
 しかし、そうは言っても、納品成果物が鑑定評価書であることに変わ
りはない。】
 何よりも悩ましいのは、固評業務獲得高に大きな差が生じてしまえば、
今後その生じた格差が、士協会として実施している多くの共同事業の遂
行に大きな障害となるであろうと容易に推測できる悩みが三つ目である。
 事例収集事業やネットワーク整備事業という基盤整備をおろそかにし
て、よりよい鑑定評価結果が得られようも無い訳で、その為には業務量
確保というセイフティネットも必要なわけでして、いわば恒産無くして
恒心無しと云う訳です。
【ナリフリ構わず、個別単独契約であれ競争入札契約であれ、獲った鑑
定士が勝ちという状況下で、共同して様々な業務を遂行してゆこうとす
る求心力が残っているだろうか疑問だということです。現時点での見切
りは速断に過ぎるかも知れない。しかし、一旦走り出したものが奔流に
なるのにそれほどの時間を要しないと覚悟しておくのが当然のようにも
考えます。】
 我が士協会のセイフティネットは何処にあるのだろうか?
やっぱり、この原点に戻らざるを得ないのだろうか、それが氷点であっ
たとしても、改めてこの位置を起点にして、基礎から築かねばならない
のだろうか?
 「少しでも理想に向かうことが我々の勝利であり、どんな敗北の中か
らも民主主義完成の契機がある。どんなに敗北を重ねても負けない自分
がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の勝利を考えるよう
になると組織や運動はもちろん人間の堕落が始まる。」(久野 収)
 どこで、ボタンを掛け違えてしまったのであろうか。
一つ一つの総括をなおざりにして、今日に至った結果がこれだとすれば、
もって瞑すべきことなのか。
 今、茫猿は深刻に反省しています。
この文章自体が支離滅裂であります。報酬額低減化競争が鑑定評価の質
の向上につながらないというのは説明できても、コスト低減化競争をな
おざりにすることが許されるとも思えない。
 ましてや、随意契約を指向する人々の過半が報酬額維持にあることは
明らかであり、いたずらな価格競争に走らないで随意契約を指向するこ
とが、鑑定評価の質の向上につながるという保証も担保もない状況では、
随意契約を求めることの説得力がいかにも弱いと考えます。
 役員席の末席に連なる者として、軋轢を恐れずに、己の信ずるところ
をもっと積極的に主張すべきではなかったかと振り返ります。
たとえガラス細工に見えても土地協専門部会を基盤とする新しいスキー
ムの充実を力説すべきであったのではと反省しています。
 そして、価格競争を選択せずに、非価格競争(評価の質の向上であり、
広範なサービスの向上を意味します)を選択することにより、固評鑑定
評価の本来果たすべき役割を充実するという方向付けを明らかにすべき
ではなかったかと考えています。
 説得も議論も避けて、世慣れた妥協に逃避した結果は、果たすべき役
員責任を放棄しただけではないかと、茫猿も反省するのです。
いつもの蛇足です
どうにも、まとまらない駄文に付き合わせました。
だからこそ、トリレンマなのですが。
実は、事の本質は単純です。
一、どのような市場であれ、参加するかしないかはプレイヤーが自己責
任で決めること。意にそぐわなければ参加しなければよい。意に添わな
くても、身すぎ世すぎを言い訳に我慢するか、我慢しないかと云うこと。
一、市場の競争条件を規定するほどの力が有るか無いかが問われるので
あり、デイファクト・スタンダードを制することができなければ、追随
するか、逃避するしかない。
一、「グレシャムの法則」を言揚げするなどと云うのは、「引かれ者の
小唄」であるということ。
※何故にそこまで、固評にこだわるかについては、稿を改めます。

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