老齢になれば、一年が過ぎ去るのを早く感じるのは何故かと云う、古くて新しい命題がある。今年も7月/12月が過ぎゆき今日からは八月である。梅雨明けはまだだが、旧盆は近い。
年齢を重ねると何故に月日の過ぎ去るのを早く感じるのか。(A)相対的なものである。十歳の一年は1年/10年の重さや相対的長さを感じるが、七十歳になれば1年/70年と為り相対的にな比重が軽くなる。加えて出会うことに類似感や既視感が強く為り新鮮な驚きが薄れる。
(B)こんな考え方もある。時間評価の問題といわれている。ヒトには心的時計といえるものがあり、心的時計の進み具合には、身体の代謝の状態が大きく影響していると云う説がある。身体の状態が活発であれば心的時計は速く進み、不活発であれば進み方は遅くなる。高齢になると一般に代謝は低下する。そこで心的時計の進み方が鈍り、時間の経過を速く感じるという説がある。
A説であれ、B説であれ、刻を待つ身に時間は遅く感じられ、楽しい時間や嬉しい時間を過ごしている身には刻は疾く過ぎてゆくものである。もう八月なのかと思えるのは実感である。多くの出来事が数日前のことに思えるのに、多くの出来事の記憶がぼやけてもいる。
我が身に残された時間がそんなに多く無いことは、理屈として承知している。男性の平均寿命は81歳(2017年)とされる(65歳の男性の平均余命は85歳とされる。)。65歳の健康余命は79歳である。全平均値でいえば、既に平均寿命も健康余命もほぼ満了済みなのである。
であるとすれば、喜寿を過ぎてからのちの、一日一日は余禄と云えるものであり、よくかつての高齢者が語ってくれた『(天からの)お与え』なのであろう。日々を迎えることに感謝し、一木一草を愛しんで過ごしたいものである。目標は『周りに喜ばれる年寄り』なのである。
窓から眺めれば、鄙桜の葉が黄葉し始めた。季節の歯車は夏から秋へと巡る。雑木林の日陰の緑は黒く濃くなった。梅雨明け十日の暑さがやって来たが、盆が来れば秋風が軒端に吹く。
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