縁者の病気見舞いを兼ねて岐阜市へ出向いた。蕎麦なら付き合うというので、数年ぶりに出向いた蕎麦屋が胡蝶庵仙波である。 変わらず旨かった蕎麦を食した後、満開間近の櫻を眺めに足を伸ばしたのである。
胡蝶庵仙波の天麩羅ざる蕎麦、1,575円なり。つなぎなしの石臼挽き蕎麦である。 つなぎ無しだから、蕎麦は短くきれているが、逆に啜り易い蕎麦である。 まずは振り塩だけでいただいたが、ほのかに香りがあり甘さも感じる蕎麦である。喉ごしも良い。
蕎麦湯は重湯に近い濃さで、香りもある。そば湯用にそば汁(つゆ)を少し残しておくべきである。 難を言えば、茫猿は天二枚ざるを注文したのだが、一枚を食したあと、次の二枚目が運ばれてくるまでに間が空いてしまった。 茫猿の啜り込みが早すぎたと云えばそれまでだけれど。
胡蝶庵仙波の店構え。 外観は数寄屋風、内部は古民家風である。
岐阜市日光町3丁目26 (058-232-6776)
花見に出かけたのは、大垣市墨俣町犀川沿いの:木下籐吉郎ゆかりの一夜城趾桜。
一夜城趾からは南へ約1km下った堤防道路は人影もまばらで桜を堪能できる。
赤い斜張橋はサイクリングロード橋である。
蒲公英(タンポポ)も花盛り。
《お天気模様》
長く続いた晴天も、今夜あたりから雨模様である。 お天気キャスターが「好天も今日までで、明日は桜には生憎の花散らしの雨となるでしょう。」などと言うのを聞けば、違和感を感じる。「テヤンデー!!!」という気分である。
晴耕雨鑑から晴耕雨読の日々に入ってもう二ヶ月、畑には野菜の苗物、植え付けた種芋、播いた種、植えた苗木などがいっぱいで、長引く干天にいずれも悲鳴を上げている。昨日は川から水をポンプアップして撒いたくらいだ。 農業とくに畑作はお天気任せだから、お天気の先読みが欠かせない。 こうまで晴れが続くとは思わなかった読みの甘さのせいとはいえ晴天が恨めしい。 明日が予報通り雨になれば、待ちわびた恵の雨、まさに干天の慈雨なのである。
《今、いちばんつらい人は誰?》
・津波にさらわれ、行方不明とされ、波間に漂う死者たちか。
・家族を親族を、家を、職場を、失った被災者たちか。
・獲った魚が売れない漁業者たちか、穫った野菜が売れない農業者たちか。
・被爆線量に怯えながら、廃棄予定原発の安定に努めている協力企業職員たちか。
・それでも原発と折り合わなければならない過疎地の人たちか。
他にも様々な場所でそれぞれの立場で辛い思いに耐えている人たちがいる。 それらの人たちを、ただただ傍観するしかない人たちもまた、辛い人たちか。
リスクを受け入れ、原発と折り合わなければと、えん曲な表現ながら、主張する人たちがもう現れ始めている。 原発無しには、経済成長も温暖化対策も実現できないという思考停止的似非現実論(?)が日々勢いを増してゆくのだろうとすれば、これもとても辛いことである。
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