気仙沼大島・はま家再興

03/26東京にて、新スキーム企画小委が開催されたので上京しました。 その夜は有志数名と懇談並びに飲み会を行いましたが、茫猿は珍しくもその日のうちに宿に入りました。 と申しますのも翌日早朝から気仙沼へ向かう予定があったのです。

03/27  05:20起床、05:39赤羽発・京浜東北線、06:02大宮着、06:30大宮発東北新幹線やまびこ51号乗車、08:37一ノ関着、09:43一ノ関発大船渡線スーパードラゴン乗車、10:59気仙沼着、11:40発のフェリーにて気仙沼大島へ渡ったのです。

なぜ気仙沼かといえば長い話になりますが、2008年秋にふと立ち寄った気仙沼大島でとても楽しい思い出を作ってもらいました。 ところが昨年の3.11大震災です。 その後様々に調べてはいましたが電話も通じず所在も不明で、気懸かりのままに月日は過ぎてゆきました。 ところが今年になって、ふと「はま家」でもってWEB検索をしてみたら、思いもかけずヒットするではないですか。 記事を読めば、あの「はま家」さんが大島の高台に移転してお店を再開したと記してあります。

すぐにでも訪ねたいのは山々ですが、なかなかそうもゆかず、03/26上京の機会をとらえて大島へと向かったのです。
※ 三陸気儘旅・晴耕雨鑑  2008年10月8日

大島の浦の浜へ着いたのはもう十二時を幾らか回っていましたが、折良く島に三台しか運行されていないタクシーの空車に出会い、「新築開店:はま家」さんへ案内してもらいました。 昼時でやや混み始めたお店に入り、「憶えていますか、もう三年半も前になりますか、岐阜から・・」と伝えますと、お女将さんが「あぁー、あの時岐阜から、お二人で。」と憶えていて下さいました。

伺えば、震災後、時々は『鄙からの発信』を開いて、記事を読んだり写真を眺めたりして頂いていたそうです。 この冬の雪模様の日には、岐阜も雪が深いのではなどとお二人で話していたといわれます。 嬉しい懐かしい再会でした。 小田の浜を眼下に眺める高台に新しくなったお店は、以前に比べてやや小振りながら、テーブル席、小座敷席があり夫婦お二人とスタッフの方とで和やかに営業されています。

「まだまだ仕入れもままならずメニューは少ないですが、以前からの島のお客さん、復旧工事の関係者、それに仏事などの仕出しで忙しくさせてもらっている。」とご主人は言われます。 震災当時の写真なども見せていただき、一年前の話をたくさん話していただきました。 浦の浜にあったお店にフェリーが乗り上げている写真などを拝見すれば、よくぞご無事でと思わされます。

気仙沼大島は北の亀山と南の長崎付近が標高が高く、浦の浜から田中浜へ抜ける中央部がくびれて標高も低くなっています。このくびれの中央部へ向かって、太平洋からの津波が押し寄せ、湾内からは内波が東へと向かい、くびれの峠部分でぶつかったのだそうです。

津波警報が出てすぐに女将さんは自動車に乗って、約500m北東の光明寺参道石段へ向かい、石段の上からご主人の来るのを待っていたのだそうです。 ご主人は板前ですから、大切な包丁などを取り纏めて車に乗ったのだそうですが、女将さんよりは何分か遅れたのです。

ご主人が乗る車のあとを津波が追いかけてきて、彼は途中で車を捨て石段に向かって走ったそうです。 その一部始終を石段の上から女将さんは息を詰めて見ていたそうですが、叫び声は声にならず、ただ「ぁー ァー」と言うだけだったそうです。  その小さな峠の交差点に立つと判りますが、東からの波と西からの波が押し寄せるなか、必死に逃げる夫の姿を石段の上からただ見つめているしかなかった時の彼女の気持ちは察するに余りあります。

「いまだから笑い話にできますが、その後、夏過ぎまで主人はふぬけみたいでしたよ。」と言われる女将さんの気持ちがとてもよく伝わってきました。 「私は流されずに残った什器を拾い集めて店の再開準備をしていましたが、主人はもの思いにふける日々でした。 幸いにこの場所を提供していただき、工務店にも良くしてもらって、店が再開でき皆さんにも可愛がってもらっています。」

「島の漁業が復興するとともに仕入れも豊富になるだろうし、メニューも増やしてゆきます。 この夏には海鞘:ホヤがお出しできるかもしれません。」と明るく話をされるお二人に美しき明日が訪れるようにと強く願います。

      

      

      
写真は、(上左)新築はま家、(中)美味しかった茎若芽の湯通し、隣は自家製の塩辛、写真はありませんが、刺身の盛り合わせ、鯛カマの塩焼きなどもいただきました。(右)フェリーを追いかけるカモメ、(中左)左の矢印がフェリーから見る外波と内波がぶつかった峠、右矢印が旧はま家跡、今は基礎しか残っていません。(中)浦の浜 被災の跡 (右)気仙沼フェリー乗り場、海に落ちた桟橋に蛎殻がついて一年を語っています。(下)左からフェリー、ドラゴンレール・大船渡線とシンボルマーク。 《いずれの写真もクリックすると拡大します。》

《気仙沼大島:食事処 はま家》 気仙沼市長崎147-1  電話 28-2484
※不定休ですから、訪れる時は事前にお電話をよろしく。 島のタクシーはフェリー乗り場で予約できるのかもしれません。 気仙沼港ふれあい公園前フェリー乗り場でご確認下さい。

気仙沼港にはまだ多く瓦礫の山が残っています。

気仙沼湾に面する山は、津波に続いて起きた火災で、焼けこげていました。

夏にはホヤをいただきに来ますと再会を約した茫猿は、14:30のフェリーに乗って気仙沼へ戻りました。 気仙沼駅へ向かう途中で、茫猿は「秋・南三陸路 2008年10月11日」に掲載するホーロー看板のお店を探しましたが、津波をうけて倒壊してしまい基礎だけが残っていました。 大船渡線気仙沼駅付近は高台ですし被災の跡はありませんが、南気仙沼駅付近は津波とその後の火災にあい気仙沼線はいまも不通のままですから、当時の惨状を残しています。

Google Mapの写真とストリートビューで、03/27の追体験をしています。Googleの撮影記録は通行者やボランテイアの衣装からして、昨夏頃と思われますが、それだけに今と比較して災害の大きさを痛感させられます。

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