様々に知れば知るほどに、侘びしさつのります。
錦秋はまだ少し先なのに、見えてくる景色は枯れ野晩秋を思わせます。
昨日は、恒例の無料不動産相談会でした。 久しぶりに畏友A氏にお会いし、相談会の責任タイム終了後は夕闇迫るまで語り合いました。
そして思わされたのは、 疚しき沈黙 であり 然るべき沈黙 なのでした。
A氏 いつも乍らに喝破していわく、
『三次データは全てオープンに。 迅速にして費用負担は無料に近く。
半年遅れの四次データなどは、有れば佳し無くも好し。
多様なデータの活用が許されるように願うし、データー秘匿が一番の悪。』
『今の諸症状を悲観視することはない。 組織も事務局も無く、資料は自ら掘り起こすしかなかったあの頃を思えば、今は隔世の感がある。
携帯電話の出現も、モバイルPCもカーナビも想像すら出来なかったあの頃に較べて、今や iNetには不動産情報が溢れているし、 スマホやモバイルタブレットやデジカメやカーナビなどの七つ道具も隔世の感がある。 それらを駆使すれば、現地で最寄りの宅建業者を探すのも簡単だ。当時は電話ボックスで電話帳を開いていたものだ。 今は電話ボックスも見かけないけれど。』
『なにも無くなったとしても、初心に戻るだけのこと、行政情報開示制度を上手に使い、足で稼ぐ資料収集に帰れば、なんのこともない。 今だって賃貸情報収集は靴をすり減らしている。 その方が業界をより良く変えてゆくであろう。』 とA氏は言います。
彼の諦観とも受け取れる達観には刮目させられました。 まさに「百尺竿頭進一歩」ということなのでしょう。 実は数年前まで、彼は地価公示原理主義者だったんですよ、とはいっても教条主義者ではなかったな、強いて云うなら地価公示・自己責任貫徹主義者でしょうか。判るかな?岐阜清流国体が開催されていますから、常の開催場所である岐阜市役所ロビーは国体関連広報展示で手狭であり、相談者背後の掲示も不動産相談会なのか国体案内会なのか判らない有り様です。しかも台風17号の余波でしょうか、訪問相談者数も例年に比べて随分と少ないのです。
写真右端は、鵜匠の姿をした岐阜清流国体ユルキャラの「ミナモちゃん」が「ようおんさった岐阜へ」と訪れる相談者を迎えています。足元にちらりと見えるのは鵜飼舟です。
この記事を書き終えて、ふと外へ出てみれば今宵の月は「仲秋の名月」、白み始めた西空に傾きつつある月を眺める茫猿の心境だけは只管打座、そして月に遠吠えです。 草むらからは虫の声、秋風に揺られて竹風鈴の鳴る音が聞こえます。 秋はまた深くなりました。
話はがらっと変わって東京駅丸の内口。
復元された東京駅に日本鉄道賞が授与されました。 《日本鉄道賞》
「鉄人」特別賞には原鉄道模型博物館(神奈川県横浜市) が
「蘇ったレール」特別賞には岐阜県飛騨市のレールマウンテンバイク・ガッタンゴーが選ばれました。(過去記事神岡鉄道)
なお、国の重要文化財・JR東京駅丸の内駅舎の復元工事費約500億円は、駅舎上部の空間利用権(未利用容積率・いわゆる空中権)売却収入で賄われている。 これは、敢えて低層利用を選択して未利用容積を売却するという本来の趣旨に沿うものなのかな? この傳でいえば、明治神宮上空に靖国神社上空、浅草寺上空など寺社仏閣上空はみな対象となり得る。そういえば、愛宕山近くの某寺と隣接高層ビルはこの関係なのだろうか? 空中権取引に伴う「特例容積率適用地区」などは、鄙の鑑定士に縁が遠い話だから詳しくはないが。
そんなことよりも、次の上京機会にはリニューアルオープンした「TheTokyoStationHotel」に、一夜の宿を求めてみたい。 せめて、カフェバーやロビーラウンジだけでも訪れたい。 10/24開催予定の新スキーム改善特別委員会が、またもや流れないように祈るのみである。
台風17号が当地方へ与えた影響は軽微だったが、鄙の秋桜はやはり倒伏していた。
やっと双葉がとれた野菜たちの被害は軽微で、この秋冬の食糧事情に影響は無い。
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