2015・疾しき沈黙

疾しき沈黙と云う標題で記事を掲載するのは二度目か三度目である。疾しきというのは”良心に恥じることがある”または”後ろめたい”という意味である。言わねばならぬことは時期を失せずに言うと茫猿は考えている。
やましき沈黙  再び・やましき沈黙  

高校野球が終わり、盆前から鄙里に逗留していた孫娘が先ほど帰宅しました。今日は小雨模様の少し蒸し暑く雲の多い天候ですが、盆過ぎから空は鰯雲が見られる秋空に変わりつつありました。孫娘が遊んだ仮設プールを撤収し、楽しんだトーマス・プラレールを片付けますと、庭も部屋も広々として夏が終わり秋が来たのだと一抹の寂しさとともに味わっています。

鄙里の畑や屋敷林を走り回りますから、片時も眼を離せない孫と遊ぶのに忙しくて、更新が途絶えておりました。大都会に馴染んでいる三歳未満の孫は、田舎で遊ぶことにまだまだ不慣れであり、泥だらけになるのはまだしも、思わぬ怪我が怖くて未熟なベビーシッターを自覚する鄙爺々は気の安まる時がないのです。でも、蜘蛛の巣を見つけても、カタツムリを見かけても、紅く熟れたトマトを摘んでも、天使の笑顔を鄙爺に与えてくれるのです。 「爺々、トーマス」と言われても、「爺々、畑へ行く」と言われても、「爺々、お千代保《稲荷》さん」と言われても、満面の笑顔で孫の後を追う毎日でした。

それでも一週間が過ぎる頃からは、孫も田舎に飽きたようで、大都会の喧噪が懐かしくなったようです。蝉、カタツムリ、トマト、瓶のメダカだけの静かな田舎には退屈を感じてきたようです。 鄙爺々も走り廻る彼女のあとを追いかけるのに疲れてもきました。先日は彦根城を訪ねましたが、長い石段を疲れも見せずに駆け上がり、天守閣の最上階まで登ったそうです。 そうですというのは、婆々は登城石段の中程でギブアップ、爺々は天守閣前の広場でギブアップ、彼女と彼女の母親だけが登城したからです。まさに孫と云うものは、「来て嬉し、帰って嬉し、盆の孫」、正しくは寂しさ半分、怪我も発熱も無く無事に過ごせてホッとする安堵が半分を実感しています。

さて、標題の「2015・やましき沈黙」ですが、参議院平和安全法制特別委員会における山本太郎氏の質問に敬意と賛意を表わすからです。言うべきと考えることを言わずに沈黙を守ることは「疾しきこと」だと考えるからです。 沈黙は金だなどという、村社会に都合のよい、ボス支配に都合のよい迷文句に惑わされてはならないと考えるからです。

「鄙からの発信」で山本太郎氏については、2013’参院選総括 で山本氏の当選に注目していました。参議院審議が始まってからは、山本氏の質問スタイル:伏線を置くような、地雷を埋めておくような、一連の質問に注目していたのです。8.19の質問には刮目したのです。山本氏の質問の詳細を再掲するのはやめて、山本氏のFBよりリンクを掲示しておきますから、発言詳細は動画をご覧になって下さい。

一連の安保法制審議に関連する、FBに書き込んだ茫猿のコメントやツイートを整理再掲しておきます。疾しき沈黙に陥っていないだろうかという自省をこめて再掲するのです。それにしても、山本議員の質問終了後において、拍手の少なさに寒々とする。パチパチと独りか二人の緩い拍手が聞こえるだけである。自民党はもちろん、野党だって知っている議員は知ってただろうに、言えないこと聞けないことを言ってくれ聞いてくれた山本議員への、「よくぞ言ってくれた」という拍手の支援さえ無いに等しい。 議員諸君よ、拍手無く、野次とて無いこと、それが疾しき沈黙なのである。

《07.03》中国冊封の復活などとデマゴーグが溢れているから、沖縄に心を寄せていたい。沖縄に関心を持っていることが、小さくとも琉球人への支えになると考えている。琉球新報と沖縄タイムスの共同記者会見を読もう。せめてヤマトンチューの義務として。

(注)琉球蘇分を行ったのも、日清戦争後に国境を確定したのも、明治政府である。 本土決戦のために沖縄県を時間稼ぎの捨て石にしたのは旧日本軍と昭和政府である。 沖縄県の米軍統治を認め、日本復帰後も多くの基地提供を容認したのは昭和政府である。 今、普天間基地の県内移転を画策し日米地位協定の不平等さを容認しているのは平成政府なのである。 琉球人のアイデンティティーに思いを寄せること無く、安全保障と云う名分のもとに沖縄県の自治を制約するのも平成日本政府なのである。

《07.22》国民を愚弄しているとしか思えない、安倍総理の例え話である。
振り込め詐欺に始まり、隣家である米国の離れの火災に日本の消防士が消火活動を行うかどうかという例え話は、噴飯ものである。「殿ご乱心」と止める忠義者も居なくなったのか。 消火と云う民生の緊急防災活動と自衛隊の戦闘参加と云う実力行使活動を混同して議論する愚かさに御本人が気付いていない。 こういった、混同、すり替え議論があまりにも多すぎる。というより、そればっかりの愚民視論議が多い安倍総理である。

《07.22》警察、消防、海上保安庁といった国内及び領海の治安と警備活動を任務とする組織と、自衛隊と云う自己完結型実力組織の行動とを完全に混同しているのが、安倍総理による一連の国会答弁であり、幾つかの説明や演説である。そのことは、PKO活動《国連平和維持活動》と後方支援活動《戦闘行為としての兵站行為》の混同にも表れている。

《07.22》憲法9条は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定め、同条2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と定めている。
自衛隊が違憲なのではなくて、「国権の発動たる戦争と、国際紛争を解決する手段」という目的のための戦力は保持しないと定めるのである。 日本の国是並びに自衛隊が「専守防衛」である由縁なのである。

《07.22》個別自衛か集団的自衛かにこだわったり、神学的論争をするのは意味がないことであると同時に、米国と肩を並べて或は米国の後方を支援して世界に進出したい、武器や原発を輸出をしたいと考える人たちを利するだけである。
日本は専守防衛に徹する。戦争には参加しないし戦争を引き起こすことにも組しない。だから武器輸出もしない。それが十五年戦争で惨禍を体験した日本と日本人の覚悟なのである。

(注)中東やアフリカにおける民族紛争や内戦が激化する大きな原因は、先進諸国による武器輸出や武器提供によるところが大きいと、茫猿は考えている。 開発国支援の名のもとに資金提供して武器を買わせる政策が紛争を激化させ、女性や子供を惨禍にみまわせている。今も昔も、武器輸出に関わることは「死の商人行為」なのである。

《07.22》私は「ニッポン」という呼称が嫌いである。勇ましく鼓舞する呼称かもしれない。しかし、嫋やかで優しい「ニホン」という呼称が好きである。ウザイと思われる方が少なくないかもしれない。しかし、この夏は「専守防衛に徹するのか」、それとも「後方支援と云う兵站戦闘行為に参加を是とするのか」、マジに考えなければならない夏だと思う。子や孫のために。

《07.24》日本も捨てたものではないと、若者に改めて期待するのである。同時に彼らの行動を支持する。《SEALDs について

《08.08》目頭が熱くなるほど素晴らしい発言だ。国があって国民があるのではなく、国民が存在してこそ国があるのだ。流石の菅原文太、流石の水谷修。今こそ語らなければならない。無言は黙認に通じるだろう。無関心は諾意と受け取られるであろう。六十年安保闘争の時に、国会を取り巻くデモ隊を眺めた岸総理は、後楽園球場に集まる民衆の声なき声も聞こうと言ったそうである。《夜回り先生の自民党武藤衆議院議員の発言について(2015年8月 4日) 昨日、武藤議員は自民党を離党(事実上の処分)したが、議員辞職ものであろう。》

《08.19》視点、視線、視座を何処に据えるのかが問われている。常に問われている。弱者の側にと云うのは基本だが、対者の側にも置いてみるという柔軟性を忘れてはならない。 《アフガニスタンでNGOとして活躍する中村医師の記事、及び、城田すずこさんの記事について

《08.19》腑に落ち過ぎるのが、とても哀しい。アベさんよりも右側に坐ることで忠誠を表わし、尖鋭化することでしか頭角を表わせないとすれば、それは将に”マツコデラックス”氏が言うところの”スカートをはいた右旋回オッサン”に他ならない。 《女性政治家たちの陥穽 について》

《08.20》山本太郎氏に同意します。何よりも山本氏と会派を組み、あえて長い会派名称を用い、会派の質問時間を山本氏に託す小沢一郎氏に敬意を表わします。 《山本太郎氏のFB

《08.20》「米国と米軍による、米国と米軍と多国籍企業《米国軍事産業》のための安保法案《戦争法案》は廃案するに如かず」という、山本議員の指摘は勇気ある指摘だと思います。識者であれば薄々は知っている事がらを国会の場で議事録に記載するかたちで表明する為には、どれだけの逡巡とどれほどの恐怖が背景にあったのか、近日中に知らされることの無いように祈ります。 私にできるのは、山本太郎氏が不慮の事故などに遭遇しないことを切に祈るのみです。

YouTube で、それぞれ15分しか与えられない山本議員の質疑を聞いて、最初に考えたのは、「やましき沈黙」を決然と蹴飛ばした山本氏の勇気に敬意を感じたのである。会派共同代表を組む小沢一郎氏のサジェッションもあったろうし、彼を支援する仲間たちの忠告もあったろう。何よりも、政治家人生を全うすることが叶わなかった中国よりの小沢一郎氏、普天間基地県外移転を公言した鳩山由紀夫氏、中国よりの田中角栄氏、ソ連よりが噂された中川一郎氏などの先例がある。 《中国より、ソ連よりと云うのは、両足を米国に置く外交姿勢を修正して、中国や旧ソ連にも何がしかの比重を置こうと云う考え方である。》

《蛇足ではございますが》 茫猿が未だに「やましき沈黙」と自省することがある。「鄙からの発信」における原発についての意見表明である。現役の頃に、茫猿の不動産鑑定事務所は比重の高い顧客に電力会社並びに国及び地方自治体があった。それで政治的記事は自制することが少なくなかった。明からさまな原発疑問視記事は避けていたのである。 言い訳めくが、それでも完黙していたわけではない。 事務所の盛衰は家族の死活問題だったから及び腰は否めないことながら、当初から幾つかの記事は掲載していたので、アリバイ的に掲示しておきます。

巨大技術&巨大システム  

潮流の速さ  

何か違う  

桂東雑記 

《閑話休題》固く暑苦しい話はさておき、孫娘と訪ねた近くのヒマワリ畑でこんなものを見つけました。誰かのイタズラでしょうが、花の盛りを終えて、カラスの餌になりつつありましたから、多少のことは好しとしましょう。

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彦根城天秤櫓前の渡り橋から彦根の街と琵琶湖を眺める孫娘。20150819hikone

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