我が身を翁と呼ぶにはまだ早いと思っている。せめて八十路を辿りだしてからのことと考えている。でも昨日の私は翁と呼ぶにふさわしかった。昨日は雲一つない晩秋の日だった。硝子窓越しの日射しは暖かくて、小春日和と云うよりも秋日和がまぶしいくらいの日ざしだった。
晩秋の頃の野良作業は、今日明日のうちに為さねばならぬというほどの作業は無いから、陽だまりに閑居して日暮らし過ごしたく思い、晴耕雨読ならぬ晴読雨読に過ごしたのである。
南面する一面のガラス戸越しに射し込む陽を浴びながら、書を読んで過ごしたのである。読み疲れれば、うたた寝をし茶を喫する姿は翁そのものであったろう。読んでいた書は宮城谷昌光の重耳だった。 今日は一転して雨である、氷雨ともいえるような肌寒い日である。また書棚から宮城谷昌光の晏子を取り出してきて読み始めている。
宮城谷氏の古代中国小説は、登場人物が極めて多い、多いうえに彼らの名前が馴染みの乏しい漢字で語られる。時には武公とか文公のように異なる人物に同じ諡号《おくりな》で語られるときもある。読み難いと云えば読み難いのであるが、そのぶん行きつ戻りつして読み進むことになるから、衰えつつある脳髄のトレーニングには格好なのかもしれないと思っている。
《例えば趨走であり、例えば奄有である。趨走であれば字面からして当たらずとも遠からずに意味が判るが、奄有は判らない。ちなみに趨走も奄有も広辞苑には出てこないが、Web検索ではヒットする。広辞苑に優るWeb検索か?》
今朝は東面する窓越しに、山茶花と葉を落とした鄙桜を眺めながら、晏子を読み進めるのである。夜半からの雨は昼には上がるだろうが、北風は強く畑は泥濘んでいるから今日も晴読雨読なのである。
史記や春秋列伝などの僅かな記述を母体にして繰り広げられる世界はほとんど神話の世界でもある。同時に現代に通じることわざや言い回しの由来を教えてくれる世界でもある。周王朝の後半における尊王と覇王、後漢王朝と三国の位置付けなどから、日本の王朝と覇王の歴史も考えてみるのである。
宮城谷氏を手に取る前は、乃南アサ氏の”おツ ちゃん”こと音道貴子シリーズに感情移入していた。 乃南アサの「風邪の墓碑銘」を読んだのは2007年のことだから、それから八年を経てもう一度読んでみれば、とても新鮮であったというか、新しい読み方ができている己に気付かされていた。音道貴子シリーズを改めて最初から読めば、前は音道貴子に感情移入して読んでいた茫猿が、今は相棒の滝沢刑事に感情移入していることに気付かされるのである。
テレビドラマで音道貴子役は天海祐希《NHK》や木村佳乃《ANN》が演じ、老練な滝沢刑事役は大地康雄や橋爪功が演じたのであるが、残念なことにいずれも見逃している。NHKで再放映されたら今度こそ見逃すまいと思っているが、未だ放映予定は公表されていない。
『乃南アサ・音道貴子シリーズ』
1.凍える牙 96年直木賞受賞作、大型バイクで颯爽と追跡する音道刑事、セクハラをしまいとするが女性刑事の扱いに戸惑う滝沢刑事。【立読】
2.花散る頃の殺人 音道32歳・音道刑事の日常を描く短篇集第一作 巻末に乃南氏と滝沢刑事の架空対談あり。
3.鎖 エリート意識だけが強く無責任な相方の愚かさから拉致監禁される音道、音道の救出に賭ける滝沢・長篇第二作【立読】
4.未練 短篇集第二作【立読】 描かれる音道の肖像はとても身近な感じだ。一人暮らしの女性刑事が等身大で描かれている。音道の日々が丁寧に描き込まれるなかに、何気ないけれど貴重な時間のすばらしさも浮き彫りにされる。
5.嗤う闇 短篇集第三作、滝沢刑事の家庭の事情も明かされる。【立読】
6.風の墓碑銘 長篇2007年作、音道貴子の確かな観察眼と粘り強い捜査が、時間を超えた無関係に見える事件の意外な連鎖点を浮き出させてゆくのである。【立読】
(以上、Web惹句他より抜粋)
《風の墓碑銘について2007/05記事》
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